カップ酒〜見直される利便性

かつてほとんどの日本酒は一升瓶によって販売されていた。日本酒の販売数量が最高を記録した1975年頃であれば全体の7割程度はそうだっただろう。しかし今ではスーパーマーケットの酒売場を見れば明らかだが、紙パックか四合(720ml)以下の小瓶が中心であり、一升瓶は飲食店を中心に限られたユーザーしか購入しなくなっている。
 紙パックにせよ、小瓶にせよ持ち帰りや家庭での保存等の便益でそのサイズが広がったに過ぎない。ビールが瓶から缶にシフトすることで飲み方が変わり、80年代後半からの需要拡大に寄与したこととは意味合いが異なる。日本酒にとって飲むシーンが増えるような革命的な容器の登場は、今のところカップ酒しかない。
カップ酒は64年、東京オリンピックの年に登場した。高度経済成長以前のまだ日本が貧しかった時代だ。先駆けとなったワンカップ大関は、若者にゆさぶりをかけようと、当時としては斬新なデザインを採用した。
いつでもどこでも飲めるという機能性とコップ酒=立ち呑み、という暗い印象を払拭する現代的なフォルム。この酒で日本酒のイメージ・飲酒シーンは確実に広がり、新たな需要を開拓できたのは間違いない。
それから40年。かつては新鮮だったものが現在ではかっこよさを失っている。しかし、単身世帯や高齢者世帯が増え、日本酒を飲む量が減っている中で、カップ酒の持つ「飲みきり」という利便性は、もう一度見直される時期にきている。
先日当社が実施したインターネット調査でもカップ酒支持派は6割を超えた。今よりも少し高品質な酒をカップに詰めて、飲み手からおいしいという評価を得られれば、カップ酒はもう一度ブレークする可能性が十分にある。

2005年02月04日掲載