ワイングラスで日本酒が広がる

 私が所属するコンタツオーストラリアの設立当時(08年)、当地に日本酒を専門に扱う業者はなく、日本酒は人材、商品、情報等あらゆるものが極端に不足していた。そこで私たちは「日本酒に関する情報提供」を主眼に活動を開始した。
 シドニーの日本食レストランは、日本食そのものが高級食にカテゴライズされることから、総じてレベルが高い。シェフたちは料理に相当な自信をもっていたが、一方で日本酒の情報量はあまりにも少なく、質の高いサービスが提供できていなかった。そのギャップを埋めようとしたのである。提供する商品が持つストーリーや特性をまとめたフローチャートを作成して、お客様への説明に使っていただいたり、積極的にオーストラリア人のお客様向けに酒イベントをおこなったりした。
 シドニーにはこうしたアッパークラスのレストランの他に、麺類や丼物、セットメニューを中心にしたいわゆる「定食屋」業態の店も相当数ある。これらの業態はオーナーが日本人でない場合も多く、日本酒と焼酎が混同していることも多々あった。低価格志向が強いため、リーズナブルで良質な日本酒の提案が求められた。そして、酒をサービスする現場のスタッフに商品の特性をしっかり理解してもらうことに神経を使った。
 さて、ここでオーストラリアの食文化について少し触れておきたい。オーストラリア連邦が建国されて100年足らず、実は「オーストラリア料理」というものが確立されていないことが一番の特徴である(笑)。基本は宗主国の英国料理にあるのだが、イタリアンやフレンチ、和、中華、エスニックなどの様々な要素をアレンジしたものがオーストラリア料理になるのかもしれない。意外にも大抵の人は箸が使え、家庭の食卓には醤油が普通に置いてあり、昼食はチャーハンや寿司で済ますことも珍しくない。新しい食にチャレンジすることに抵抗はなく、おいしいものはすぐに受け容れる。最近、屋台のたこ焼きがブームになっているのはいい例だろう。
 その反面、気に入ると浮気せずとことん愛すという側面もある。アルコール飲料でもワインはオーストラリアの名産品ということもあり、地元産ワインを愛してやまない。オーストラリアにはBYO(飲食店へのワイン持ち込み制度)という独特のシステムがあり、大抵のレストランにボトルワインを持ち込める。そのため日本食レストランでもオーストラリアのワインを楽しんでしまい、日本酒をなかなか手にしてもらえないという悩みがあった。
 そこで一計を講じたのがワイングラスでの日本酒のショット売りだ。弊社が経営する日本食レストラン「水月(Watermoon)」で、BYO制度を利用してボトルワインを持ち込んだお客様限定で「ワイングラスで日本酒お試しセット」のメニューをつくり、お客様に勧めてみたのだ。ワインを嗜むお国柄、ワイングラスに違和感はない。そして日本食レストランを訪れるくらいだから、日本酒に興味がないはずはない。思い切ってリーズナブルな価格に設定し、かつ1ショットあたりの分量も少なめにしてみた。
 狙いは的中した。半数以上のお客様がお試しセットを注文し、乾杯酒として飲むようになったのだ。1ショットあたりの分量が少なく手軽に飲めることも手伝って、持ち込んだワインを開封する前に数杯注文するお客様まで出てきた。ボトル(四合瓶)の注文の劇的な増加にまでは結びついていないが、この試みは「日本食には日本酒」という気持ちにフィットしたと思う。この成功事例を活かして、得意先の飲食店にも「ワイングラスでのショット売り」を提案して行くつもりである。
 当地オーストラリアでは、ゆっくりではあるが、着実に「日本酒」が定着してきている。最近は「Saké」「Rice wine」などと呼ばれ、テーブルに日本酒が並ぶ機会が増えている。輝かしい受賞歴をもつシドニー屈指のモダンオーストラリアンレストラン「Sepia」に日本酒を紹介したところ、料理とのマリアージュに高い評価を受け、山廃純米の日本酒がコース料理に組み込まれた。
 日本酒をワイングラスで提供するスタイルは、ワイン文化がしっかり根付き、かつオープンな食文化のオーストラリアで非常に親和性が高い。構えずに日本酒と向き合うようになってもらうために、とてもいい提案だと思っている。
(芋野博詞 シドニー在住:KONTATSU AUSTRALIA PTY.LTD)

月刊 酒文化2012年05月号掲載