休日は日本酒セミナーの出張講師

 ここサンパウロでも、ちょっと前までは、どの日本食レストランでも「国産日本酒」か「輸入品」くらいしかメニューに書かれていなかった。国産日本酒というのはカンピナス市にある東山農場でつくられる、中南米でつくられている唯一の日本酒、「東麒麟」のことだ。
 この酒は熱いところでつくられているからなのか、少し酸味が強い。原料の米は「秋田こまち」に近い品種でウルグアイで栽培されている「ミロク米」と聞いている。レギュラー酒がやや黄味がかっているのは、仕込み水のせいだろうか。口に含むと少しつ〜んと来る感じがするけれど、発酵はよくできていると思う。
 近年、ブラジルでも輸入されている銘柄が着々と増えてきて、もう70種類を超えてきている。アメリカに比べれば、まだまだ少ないけれど、それでも「輸入品」とひとくくりにするのは卒業する頃だろう。銘柄をひとつひとつしっかりメニューに書いて、説明してくれる店を増やしていきたい。
 どうすればよいだろうかと考えて、自分がレストランを回ってそうするように説得するしかないと思った。一軒一軒レストランを訪ねて歩くと、多くのオーナーが「日本酒ってそんなに種類があるのか?」と聞きいてきた。私は「場合によってはワインより多いと思うよ」と答える。そのなかでどれくらいがブラジルで購入できるかを伝え、おすすめの銘柄を紹介した。子供に教えるようにほんとうに一から説明した。たくさんのレストランが説明を一生懸命に聞いてくれた。そして、これまでは日本酒のことを説明する人がどこにもいなかったのだ、みんな誰に聞けばよいかわからなかったのだと思った。
 そうするうちに少しずつ、レストランがいろいろな銘柄を置くようになった。私の店は小売店だけれども、酒を卸売りしてくれと要望が次々に出てきた。「その銘柄はこの輸入業者がやっているから聞いてみるといいよ」と連絡先を教えても、「日本酒が分かる人のところから買いたい。あなたのところから仕入れたい」と言うのだ。それまでも忙しかったのだが、卸売りをし始めてからはもっと忙しくなった。でも蔵人の皆さんが一生懸命日本酒をつくっていることを思えば、これくらいの苦労はなんともない。
 卸売りを始めてみると、レストランは最初にたくさん買ってくれるのだけれど、2回目の注文がなかなか入らないことが多かった。あるいは2回目以降は少ししか仕入れようとしない。なぜ? と思って、原因を確かめに店を訪ねると、立派な高級な大吟醸を置いているのに、ホールの人は誰一人説明できないのだった。ただ、お客が頼むのを待っているだけだ。これでは売れるはずがない。そこでレストランの経営者たちを集めて、日本酒販売のアドバイスをした。すると今度は「あなたがスタッフを指導してくれないか」と言う。また、仕事が増えると思ったけれど、蔵人さん達を思い浮かべて、頑張らなければと思いなおして指導することにした。だがブラジルは広い。隣の州まで飛行時間が1時間もかかるし、遠いところだと6時間も飛ぶ。日帰りどころではない。自分の店もそう簡単に留守にするわけには行かないのだが、できる限り皆さんの期待に応じてきた。
 これだけやると効果があったのか、卸の注文は着実に増えた。小売店だけでも酒は足りなかいくらいだったのだけれど、卸で売れ始めるとまったく足りなくなってきた。輸入業者さん達にも無理をお願いして困らせたこともある。だが、とにかく品物がなければ何ともならない。
 いろいろ調整して、スムーズに販売できるようになり、商売も私の気持ちも少し落ち着いた。ところがのんびりはさせてくれない。今度はレストランから、「いろんな銘柄を提供するようにしたら売上も好調だよ。ところで、お客様から日本酒の講習イベントをやって欲しいと言う声があるのだが、君にやってもらえないだろうか」と来た。
 こういう時は自分のコピーが欲しくなる。さすがにオーナー達に言った。「私は『日本酒学講師』ではないのだよ。ほんとうはこの資格をとらなければいけないんだ」と。それでも聞かない。「いちばん盛り上がっている時に、資格がどうのこうの言っている場合じゃないだろう。何も嘘を言っているわけではないのだから、客をだましているのではないのだから、君がやってくれ」と強く迫られた。ここまで言われたら断ることはできない。
 今では、資格をもたず講習会やトレーニングを、ブラジルのあちこちでやっている。それも店が休みの日に動いている。「日本酒サービス研究会のみなさん、許してください」と喉に詰まっている。
(飯田龍也アレシャンドレ サンパウロ在住:酒蔵ADEGADESAKE店主)

月刊 酒文化2012年05月号掲載