お客様の気持ちに合わせた提案

 人間どうしの付き合いは、ほんとうにおもしろいと思う。唎酒師の資格を取得し、毎日、日本酒を勉強してたくさんの知識を身につけても、これが100%商売に繋がるとは限りません。大勢のお客様が日本酒に興味をもってくれるようになって来ましたが、どこまで知りたがるかは一人一人違います。ただ旨いお酒を楽しく飲みたいという方に、お米の質から製造の工程、日本各地の銘柄のお話を押し付けてもだめです。その逆にグルメ好きで日本酒の知識を得たいと思っているお客様に、適当な説明をしてしまってはいけません。
 そんなお客様が望む接客をできるようになりたいと思っていた時に出会ったのが、『どうして女性はそんなに買うの?』という本でした。ほんとうにものすごく役にたちました。たとえば、若いブラジル人夫婦のお客様は亭主がお金を持っていても奥様が使用権を持っています。だから、まずは女性をターゲットせよと教えます。試しに「奥様、日本酒が肌に良く、ひと口飲めば寒い日には足を温めてくれることを知っていましたか?」と問いかけました。すると奥様の表情が変わり、自分から色々なことを質問し始めました。奥様は喜び、ご主人も財布を開く許可をもらうことができ、好きなお酒が買えるという具合。
 また、この本は人間はみな堅苦しいことをいやがると言っています。女性への接客は初対面のお客様でも、最低1分間のうちに親しくなり、敬語を使うのを止めるべきだと言うのです。もちろん最初から「よ、姉ちゃん!」とはいきません。けれども後戻りできる範囲でそうします。たいていのお客様は今では客であり、親しい友人となりました。こうなると次にお酒を買いに来る時にも、互いに楽しく過ごすことができます。
 そしてもっとも大事なのは、飲んでいただくシーンの演出です。単に「彼女と一緒に飲むのにピッタリですよ」ではなく、「こういう寒い日には、彼女と別荘で素敵な景色を見ながら、ストーブのそばでくっ付いて、この香り高い大吟醸を飲んでいただいたらよいですねー!」と具体的なシーンをイメージさせると、「よいねー、じゃ3本ちょうだい」というパターンになります。それで最近は流行りの映画や地元のドラマをよく見て、自分で酒を飲む素敵なシーンを想像して、商売に利用しています。
 どんな品質の優れた日本酒でも、どんな有名な賞をとっても、安くても高くても、お客様が買わないことにはどうしようもありません。まずはお店や商品がお客様に寄り添えることが大事です。それから人間を読むのだと、日本酒の説明をしながら、この数年間で確信しました。資格や免許をとったり商品を勉強したりすることは大切です。でもそれが終点ではありません。慢心することなく、お客様の気持ちを組みながら楽しい酒を提供し続けていこうと思います。(いいだたつや・サンパウロ在住:酒蔵ADEGADESAKE店主)

月刊 酒文化2012年11月号掲載