スターシェフと日本酒の夢の競演

 東日本大震災から早や1年。未曾有の犠牲者を出し、津波や放射能汚染の影響が今も人々を苦しめているが、世界の人々にとっても、またドイツで日本酒輸入・販売業を営む弊社にとっても大きな衝撃と転機をもたらした。2011年3月11日、8時間の時差があるドイツで地震の第一報を私が受けたのは、発生後4時間ほど経過した朝の始業時だった。東京の家族や取引先の蔵元の安否は順次確認できたが、メディアから流れてくる凄惨な地震津波被害の様子に心が締め付けられた。“Bad News is good News“と原発事故と放射能汚染は一ヶ月近くトップ報道され、1985年のチェルノブイリ原発事故がトラウマとして残っているドイツ国民に、あたかも日本全土が壊滅しすべての食品が汚染されているような印象を与えてしまった。
 2011年は日本とドイツが通商条約を交わして150周年にあたり、政治、経済、文化と両国で多くの交流プログラムが計画されていた。食を通じた文化・経済交流が社是の弊社も、ドイツのスターシェフと日本酒のコラボレーション「7人のサムライ料理人とSAKE」を企画していた。日本人としてはじめてドイツ・ミシュランの一つ星を獲得した長屋佳澄氏、三つ星シェフで世界的にも有名なスヴェン・エルバーフェルト氏ら7人のシェフが、7コースのティスティング・ディナーをそれぞれのレストランで行うという、世界的にも前例のないプロジェクトだ。3月24日のキックオフイベント開催に向けて準備を進めていた矢先に大震災が起こった。フランクフルト総領事館と共催の記者会見は急遽取りやめにしたが、「岩手、宮城、福島の協賛蔵元のために、そして日本の現状を伝えるためにもこのプロジェクトを何としても成功させたい!」と同日夜の一般客向け日本酒ディナーは開催に踏み切った。ゴーミヨ・ガイドのシェフオブザイヤーに輝くマリオ・ローニンガー氏のレストランは満員御礼となり、80人のお客様と一緒に大震災の犠牲者を悼む黙祷を捧げて開会した。7コースのお料理ごとに提供されるお酒の特徴や蔵のこだわりをお伝えするとともに、被災者へのSolidarität(連帯、絆)、Hoffnung(希望)、Tatkraft(実行)を参加者の皆さんに呼びかけた。11月までの都合7回のイベントで合計200人を動員して、7x7=49通りのヨーロッパのトップクラスの料理とプレミアム日本酒のハーモニーを生み出すことができた。過去のメニューと写真は弊社HP(www.japan-gourmet.com)でご紹介しているが、大好評だったので今年も三つ星シェフのホアン・アマドア氏、クリスチャン・バウ氏など新たに7人のシェフを迎えて開催する。
 原発事故を受けての日本食品の風評被害、輸入規制、驚異的な円高 ― 2011年は日本酒輸入業を2005年に始めて以来の難題が続き、経営者として舵取りに苦労し考えさせられることも多かった。売上に窮した回転寿司屋や日本食品輸入業者は「弊店は米国産の米、EU産の醤油を使い、寿司ネタも日本産のものは皆無なので安心です」とHPで安全性を謳ったつもりが日本食の空洞化を喧伝して苦笑を誘った。翻って弊社が取り扱っているのは特定名称酒と木桶醤油など原料も加工も純国産品なので、当初情報が交錯して風評が渦巻く中で「廃業」の二文字も頭をかすめた。顧客からも安全性に関する問い合わせは若干あったが、EUの基準に即した厳重な検査体制を説明すると納得してご注文いただいた。生産者の顔が見える商品を売っていることがお客様の信頼につながり、むしろ売上高は前年よりも大幅に増加した。弊社では全国20数社と直接取引しており中には甚大な地震・津波の被害を受けられた酒蔵もあるが、不幸中の幸いというべきか人的被害はなく、また震災前に冷蔵コンテナ1本分の商品が着荷したばかりだったので、実質的に日本からの輸入がストップした期間もしのげた。売上の一部を赤十字に寄付したり、ドイツ名門ワイナリー協会VDPのイベントで日本酒スタンドを提供するなど多くのチャリティー活動もしたが、中長期的に大切なのは通常の経済活動、すなわち日本製品を輸入して当地で売ることではないかと思い至った。日本酒製造には米づくりをはじめいろいろな人々が関わっている。被災地に直接ではなくても、近いところにお金が落ちて少しでも復興の助けになればと願う。この天災は、日本酒の輸入販売という仕事の本当の意味と喜びを、私に教えてくれた。
(上野ミュラー佳子 クローンベルク在住:ウエノグルメ代表)

月刊 酒文化2012年05月号掲載