フロアスタッフの教育が鍵

 値段が高いプレミアムサケをドイツで売るのは容易ではない。スーパーで並んでいる1本10ユーロの米国産清酒と30ユーロの純米酒がどう違うのか? これを日本酒が蒸溜酒だと思っている大部分のドイツ人にわずか1分で説明することができれば、日本酒の需要は爆発的に伸びるに違いない。
 ドイツ人は自分の感覚よりも頭で理解したことを尊重する。7年前にプレミアム日本酒の輸入とレストランへの卸を始めて気づいたことは、接客を担当する現地従業員への教育なしには中長期的な需要開拓にはならないことである。まずはサービス担当者に日本酒の造りや品質の違いをレクチャーし、試飲を通じてファンになってもらうこと。そして正しい知識と自信を持ってお客様にお酒を勧めていただくことが重要だ。弊社では創業当初から日本酒の啓蒙教育に力を入れ、2005年にスローフード協会で行った日本酒セミナーを皮切りに、一般愛好家、レストラン・ホテルの従業員への試飲レクチャーやフードジャーナリストへの情報供与を積極的に行ってきた。メッセやイベントなどでの公開セミナーや売り込みのためのミニ・レクチャーも含めると年間約100回、数千人の人にお酒の魅力を伝えていることになる。直接伝えることができる数には限界があるので、近年力を入れているのがソムリエ学校やホテル学校での教育である。
 ドイツにはデュアルシステムという素晴らしい職業教育システムがあり、中学ならびに高校卒業後に職業を選択し、数年間職業学校での理論と職場での実務を平行して学んでいく。将来ソムリエやホテルマネージャーを目指す者は、職業学校で料飲サービス、ホテルマン、あるいは調理師として学び、レストランやワインショップに就職して実務経験を積んだ後、キャリアアップのために専門学校に行くケースが多い。生来のまじめな気質とシステマティックな思考、そしてこの効果的な教育システムのおかげでドイツ人は世界中の一流ホテル・レストランの有能なマネージャーとして活躍している。
 ドイツ西部のコブレンツにある商工会議所はガストロノミー関係の職業学校、専門学校を運営して国家試験も行う重要な教育機関だ。数年前から私はここのワイン・ソムリエスクールでワークショップを担当し、日本酒という極東の珍しいアルコール飲料をワイン言語、ワインの教育メソッドを使って伝えている。内容はヴィジュアルで日本酒の造りを見せて講義した後に、本醸造、純米、純米吟醸、純米大吟醸、そして純米古酒の5種類を試飲し、鮭の刺身とオリーブオイルマリネ、3種類のチーズ、チョコレート・ムースとのハーモニーを試す、盛りだくさんの内容だ。一番最初に本醸造酒を口にして怪訝な顔をしていたワインのエキスパートたちも、脂がのったノルウェー産の鮭の刺身をしょうゆにつけて酒と一緒に味わうと、表情を和らげる。受講者にひととおり感想を述べさせた後に、アルコールが脂をすっきりと流すこと、しょうゆの塩味がほのかな吟醸香りを引き立てること、うまみの相乗効果などのポイントをレクチャーする。純米吟醸のフルーティな香りは何に由来するのか、なぜ燗酒が外国で唯一の飲み方として広まったのか、日本人は日本酒しか飲まないのか、日本酒に適したグラスの形は、精米したカスは捨ててしまうのか、保存の仕方は、など受講生からの多岐におよぶ質問に答えながら試飲をすすめていく。約2時間の試飲と解説、ディスカッションを通じて、徐々に受講者の日本酒に対する興味が高まってくる醍醐味は何事にも換え難い。
 そして試飲は山廃造りの濃醇甘口古酒でクライマックスを迎える。ドイツのアウスレーゼやポートワインに匹敵する豊かな香りと複雑で深い味わい、そしてブルーチーズやチョコレートとの相性のよさ。遠く離れた西洋と日本で長い年月を経て培われた食文化の距離が一気に縮まる瞬間だ。
 いつかこの受講生たちが熟練ソムリエとして、世界のどこかのレストランで西洋料理と一緒にプレミアム酒を勧め、日本酒ファンの輪が徐々に広がっていくことが、私のささやかな願いである。(うえのよしこ・クローンベルク在住:ウエノグルメ代表)

月刊 酒文化2012年11月号掲載