日本酒ファンがあふれる日

 ほかのアルコール飲料にはない、日本酒のもっともユニークな特徴は季節感があることだろう。日本料理は四季折々の味わい、彩豊かな食材が魅力だが、ご存じのとおり日本酒にも四季がある。それを伝えたいと思い、6年前に始めたのが「季節のお勧め酒」だ。四季折々に入荷する季節限定の商品を4〜5種類選び、メニューの最初のページで紹介する。このセレクションは2〜3カ月に一度更新するので、顧客にとっても、スタッフにとっても、丁度いいペースで新商品を紹介することができる。グラスだけでなく、カラフェやボトルでも提供するので、2人のお客様もグループのお客様も選びやすい。
 売りやすく注文もしやすいため、セレクションに入るとどれもひと月に100本は売れるのだが、数量が限られた商品だけに品切れになることもあって、バランスをとることに苦労する。飲みたいという人がいるのに提供できないもどかしさを感じつつ、スタッフには希少な商品で限られた量しかないことを、逆にアピールするように指示することになる。
 「季節のお勧め酒」に限ったことではないが、新しい酒が入荷する際、いちばん重要なのはスタッフのトレーニングだ。毎日、朝夕の営業前に試飲を繰り返し、その酒の特徴や背景を頭に叩き込んでもらう。彼らには、ラベルに英字表示がないから売れないという意識はすでに無い。私を含め3人いる唎酒師が交代でフロアーに立ち、スタッフと顧客の両方をサポートしてサービスを安定させる。
 こうしたトレーニングを続けた甲斐あって、ほとんどのフロアスタッフは、自分の好みの酒の順位づけができている。好みを自覚することは自分なりの基準をつくることだから、酒をお勧めするフロアスタッフにはとても大事なこと。新人が入ると、おいしいと思った商品をひとつ選ばせ、自信を持ってその酒をお勧めできるようにするトレーニングから始める。何ヶ月かするとこういうタイプの日本酒が好きだとか、なぜ好きなのか、と同僚と話せるまでになってくる。そんな光景を見るのが、私の一番のやり甲斐で、心の底からスタッフを誇りに思う瞬間だ。レストランでは一匹狼的な存在のバーテンダー達も例外ではない。アルコール飲料のことなら何時間でも話し続けられる彼らを、日本酒の世界に魅了させてしまえば、後にとても強い味方となる。
 季節商品を扱うにあたって、メニューを更新する度におこなっているのが、スタッフのやる気を向上させるコンペティティションだ。多くの関係者にご協力いただいて、一番頑張ったスタッフに報酬が与えられるというものなのだけれど、このコンペのお陰で、スタッフの闘争心は掻き立てられ、トレーニング中の彼らの集中力が変わる。そして何より最終的には売上に繋がる。
 メニューの1ページ目は先にも述べたように季節のお勧め酒を載せるが、その後にはぬる燗向き・熱燗向きと続き、60銘柄の日本酒がカテゴリー別に並ぶ。数年前までは熱燗の売上が圧倒的だった。「酒は熱燗」の常識は予想以上に根強かったが、ぬる燗の飲みやすさ、おいしさ、料理との相性、身体へ負担の軽さなど、ぬる燗のベネフィットをスタッフや顧客に繰り返し聞かせて、ようやくぬる燗の方を好む人も増えてきた。
 燗でお出しするときは粉引青磁の酒器を使い、冷酒にはガラスの酒器を主に使っている。忙しい上、従業員総数は160人、日本人のスタッフも少ないなかで、酒器の扱い方はまだまだだ。理解が不足しているので破損も多いが、皆頑張ってくれているのだからさらに上を目指そうと自身を励ます。毎月レポートに上がる破損の量に頭を抱えながら、いつの日かもっと色々な酒器をそろえて、お客様に喜んでもらえる店にしたいと思う。
 これまで山あり谷ありいろいろなことがあったけれど、日本酒の需要は毎年伸びているし、季節の酒も無くてはならないものになった。私達にできることをひとつひとつ積み重ねて、毎日1人でも多く日本酒ファンを増やしていきたい。ロンドンが日本酒ファンが埋め尽くされる日を夢見て。
(おおくぼさとみ・Zuma Restaurant・http://www.zumarestaurant.com/:ロンドン在住)
2013年冬号掲載

月刊 酒文化2013年02月号掲載