NYC♥SAKE ニューヨーカーのエッジーな日本酒

 職を得てニューヨークへやってきたのが2007年8月。着いてしばらくは毎夜、飲みに繰り出した。単身者にとって安心して通える店の存在は心強い。わたしはいち早く、「行きつけ」が欲しかった。東京では蒲田駅近くにある飲み屋のビールケースをひっくり返した簡易いすが大好きで、下戸だが酒のつまみが大好きなルームメイトと通ったものだ。そんな私が一番好きな酒と言ったら、やっぱり日本酒だった。塩辛と日本酒、あん肝と日本酒、蕎麦と日本酒……。水と米から生まれたこの魔法の水は、なんとうまいのだろう。なにがなんでも日本酒派のわたしは渡米のおり、もちろんスーツケースに日本酒を忍ばせた。
 2007年はニューヨークの酒シーンにおける「当たり年」だったと思う。まず、この年、マンハッタンのイーストビレッジという若者の街として知られる界隈に「Sakaya NYC」がオープンした。こじんまりとした五間ほどの店内には、店主のリック・スミスさんと彼の奥方である古川裕子さんが厳選した日本全国津々浦々の日本酒が並んでいる。軒先には杉玉が吊るされており、道行くニューヨーカーは店内を覗き込んでいた。「辛口が好きなんです」と伝えるとリックさんが「慎太郎」(濱川商店、高知県)をすすめてくれたのを覚えている。マンハッタンからイーストリバーを挟んだブルックリンにさえ、日本に造詣の深いアメリカ人ソムリエが日本酒を好みに合わせてすすめてくれるレストランがあった。「酒サムライ」に対抗? して、自らを「酒ニンジャ」と名乗るアメリカ人唎酒師もいた。翌年にはこのコーナーで以前コラムを執筆されていた、唎酒師の新川智慈子ヘルトンさんが、「酒ディスカバリーズ(Sake Discoveries)」を設立している。『獺祭』(旭酒造、山口県)が漫画を利用した広告で「スパークリング・サケ」に力を入れ出したのもこのころ。乾杯で飲むはじめの酒はシャンパンではなく、サケで。なんとなくオシャレな感じがした。ニューヨークの「日本酒元年」がいつかと聞かれれば、その「種まき」はずっと昔に先人たちがしてくれていたのだろうが、わたしはラッキーなことに、花開きはじめたのがはっきり感じ取れるころ、日本酒好きのひとりとして、現場に立ち会えた。
 なにごともエッジにいるのはおもしろい。両極端が見えるし体験できるからだ。マンハッタンでもブルックリンでもそれなりのレストランやバーにいけば、ワイングラスや猪口で、しっとりしっぽり楽しめる日本酒も、自宅でとなると勝手が違う。たとえばこんなことがあった。ホームパーティーに招かれ、「日本酒でも持っていってみんなに楽しんでもらおう」と考えたわたし。当時ブルックリンに住んでいたのだが、近所のリカーショップ(酒屋)に行くとプラムワイン(梅酒)と一緒に2〜3種類の日本酒が並んでいる。ラベルを見ると、なんだが年季が入っているような気がする。日本にいた頃はいわゆる料理酒としてお世話になった銘柄だが、それを意気揚々として買って友人宅で開けると、『なんだコレ、味醂? いやなんか紹興酒みたいなんだけど……』(心の声)。「待って待って、飲まないで〜!コレなんか古くなっちゃってる!ごめ〜ん!」(叫び)。日本では「おやじ女子」呼ばわりされても、ここではワイングラスを傾けて日本酒を飲んでいれば、なんだかカッコいいオンナに格上げで、はたまたホームパーティーでは管理不足で古酒をつかまされるトホホなオンナに。二度とブルックリンにあるリカーショップで日本酒を買うまいと誓って早8年。いまや管理体制もしっかりしており、ものによっては冷蔵庫に鎮座している日本酒もあるほどだ。
 じわじわと、しかし確実にニューヨーカーにとって、「普通にたしなむ酒」になりつつある日本酒。2016年もその動向から目が離せない。
板谷 圭(いたやけい・ニューヨーク在住)
2016年春号掲載

月刊 酒文化2016年03月号掲載