異教徒のホットドリンク・ラム入り「パリサイコーヒー」

 ドイツ北部に位置する北海には、限りなく長い浜辺が広がっている。砂浜のビーチの真ん中に座り込めば、どちらが海なのか見えないほど幅広いそれは、まるで砂漠のようにも感じるほどだ。その海の彼方から、強く風が吹き寄せるこの場所では、ウィンドサーフィンなどのマリンスポーツが大人気であるほか、国立自然公園に指定されるほどの美しい自然があふれている。遠浅なことでもとても有名な北海は、潮が引けば、裸足でどこまでも歩くことができ、綺麗な空気を吸いながら、ミネラルを沢山含んだ砂の上を歩くのは健康法の一つらしい。
 こうして静養の地としても有名なオランダ領とも接するドイツ北海沿岸は、ゲルマン系少数民族のフリジア人が住んでいる。ここの北部に当たる北フリースランドに19世紀頃、厳格なキリスト教徒たちが住んでいたらしい。信心深い彼らは、キリスト教の儀式の途中でアルコールを飲むことを禁止されていたのだが、止めろと言われればますます飲みたくなるのが人情で、どうやったらこっそりお酒を飲むことができるだろうかと知恵を絞ったある男がいたという。その男は、コーヒーの中にラム酒を注ぎ、泡立てた生クリームをたっぷりその上に載せたのだ。クリームでコーヒーの表面をカバーすれば、湯気となって香るはずのアルコールの匂いは誰にもわからないので、ゆっくりとラムを楽しめると言うわけだ。
 ところが何かの手違いで、神父の手にそのコーヒーが渡ってしまった。そのときカンカンに怒って神父が口にしたのは「この異教徒め(パリサイ人め)!」という言葉だったらしい。パリサイ人とは、イエスキリストが異教徒の代名詞のように批判したユダヤ教徒の小グループのことなのだが、ここからラム入りのウィンナーコーヒーを「パリサイコーヒー」と呼ぶようになったらしい。
 このフリースランドの名物の作り方は至極簡単。強めのコーヒーを角砂糖で甘くし、そこに4ccのラム酒をいれる。このとき使われるのはゴールドラムだ。入れるラム酒の量が4clより少ないからと言って、裁判沙汰になったと言うのだから、この伝統レシピはきっちり守らなければならない。ある意味「異教徒」ならぬ、信心深い者の飲み物と言えるだろう。そして最後にフワフワの生クリームをこれでもかとばかりに載せるのを忘れてはいけない。もう薫り高いお酒の香りを隠す必要なないご時勢だが、香りを塞ぐクリームのふたなしにパリサイコーヒーとは言えないからだ。
 ちなみにドイツでもラムと言えばカリビック製だ。それではどうして似ても似つかない北海でこのラムが飲まれているのかと言うと、もちろん船による貿易が盛んな地だったからである。だからと言って、北ドイツで輸入ラム酒だけが嗜まれているわけではなく、当地に位置するフレンスブルク市では、オリジナルのラムもつくられているらしい。ラム酒の主原料である糖蜜は、このドイツの寒さでは生産できないのだから、ラム酒を原料とするラム混合酒と呼ばれるものである。そうはいってもアルコール数値は高く、最低37.5%含まれている。
 北海の冷たい水で海水浴を楽しんだ後、涼しい海風を受けながら、パリサイコーヒーを飲んでゆっくりと過ごす。これがフリースラントらしいホットアルコールの楽しみ方だ。
(たかもとみさこ:ベルリン在住)

月刊 酒文化2010年05月号掲載