英国王室にも労働階級にも人気のジン

 ジンがイギリス特有の酒、とりわけロンドンがその発祥の地だと思い込んでいるイギリス人は多い。名首相ウィンストン・チャーチル、007/ジェームス・ボンドや王族達のジン好きも手伝ってか、階級にかかわらず食前酒と言えば「ジン&トニック」に決まり、という声をよく聞く。
 確かに酒屋で売られている「ドライ・ジン(ロンドン・ジンとも呼ばれる)」は19世紀のイギリスで作られるようになった強い酒だが、もともとの出自は欧州大陸にある。中世イタリアで作られていた蒸溜酒のレシピをもとに、オランダの医師が独特な香りをもつジュニパー(ネズ松)の実と砂糖を加えてジネヴァという薬用酒を作った。それがあまりにおいしかったので、薬用を越えて飲まれるようになってしまったのだ。
 イギリスの上流階級へジンを持ち込んだのは、オランダ出身のイングランド王ウィリアム3世。薬局でも売られるようになったが、買えたのは裕福な層だけだった。庶民にその味を伝えたのは、17世紀にボヘミアから勃発した「30年戦争」に送り込まれたイギリス水兵達だ。滋養強壮薬として配給された「オランダの勇気 - Dutch courage」なる酒(実はジン)に病み付きになって帰還してきた。
 ウィリアム3世は、トウモロコシや大麦などの余剰収穫物の有効利用と、穀物価格の安定にジン製造が好適だとして、熱心にイギリスでの蒸溜を奨励した。大量生産されるようになり、ビールよりも安い酒としてあっという間に労働者の間に広まる。「ジン狂い」と呼ばれた大流行だ。ロンドンではジンの「自動販売機」さえ発明された。歩道に面した居酒屋の壁にディスペンサーがついている。前足を差し出した黒猫の形だ。コインを入れ、飲み口の猫足の下で口を開けて待つと、中にいるバーテンがワンショットをじゃあっと流してくれるしくみだ。
 賃金をジンで払う雇用主も現れた。子供も飲み出した。飲むために働き、働いては飲む。ジンが社会問題になったのは言うまでもない。画家ホガースは「ジンをやめてエールを飲もう」という一対の啓蒙ポスターを描いた。左の絵「ビール通りBeer Street」では中流市民がエールやビールを嗜む平和な光景、右の絵「ジン横丁 Gin Lane」では、アル中の母親が赤ん坊を取り落とし、犯罪が蔓延するスラム街の一角が描かれている。
 対応を迫られた政府は酒税を含む規制を実施し、ジンの値段を跳ね上げる。突然、愛飲酒を取り上げられた市民は怒り狂って暴動を起こしたという。しかし、ジンが汚名とともに忘れ去られる事はなく、アメリカから20〜30年代に普及したカクテル・パーティのおかげで、いつしか超階級的ステータスを確保した。何事につけ、好みの違いが階級ごとに明らかなイギリスでは珍しい。
 ジンの飲み方一番人気はこの100年間変らず、トニックで割ったG&T(ジン&トニックのこと)だ。マラリア予防効果があるとされていた、キニーネ入りの炭酸でジンを割ったカクテルは、植民地時代のインドに駐留していた英国上流階級人の間で、冷たい食前酒としてデビュー。レモンとライムのどちらを添えるかは、紅茶に入れるミルクは先か後かという問題と同じくらい大議論の種だ。最近では、ドライなジン・ベースのマティーニ、帝国海軍将校たちの好物ギムレット(ジンとライムジュース)もトレンディなカクテルとして復活している。よく飲まれている銘柄には、ゴードンズ、プリマス、ビーフイーター、水色のボトルがきれいなボンベイ・サファイアなどがある。
(ふくおかなを:ロンドン在住)

月刊 酒文化2011年01月号掲載