女性が牽引するイギリスのワイン市場

 アイルランド人作家ロディ・ドイルの小説『ヴァン』の中で、フィッシュ&チップスの屋台に気取った客が来て「ワインもある?」と聞くシーンがある。安いビールしか飲んだ事がなさそうな店主二人組は「もちろんだ。黒か青か?」とこともなく返す。黒はブラック・タワー、青はブルー・ナンのこと、どちらもドイツワインだ。昔は甘口で値段が手頃なワインの代表として、イギリスのワーキングクラスと学生御用達だった。赤も白も関係なくがぶ飲みして悪酔いしたのが青春の思い出、と言う中年男性は多い。特別な日にだけ、おばあちゃんが切り子のショットグラスからすすってたよね、という声も。
 それが今や、イギリスは「高級ワインを飲む国」になっているらしい。フランスのワイン消費量を抜き、ワインの輸入量では世界一だ。エールからワインに鞍替えした人に加え、新たな飲み手の参入で市場が拡大したそうで、その飲み手とは女性なのだ。週末が近づけば、おしゃれなバーには女性だけの華やかなグループが目立ち、テーブルのワインボトルを囲んでおしゃべりに花を咲かせている。
 働く女性の経済力がアップしたことが、ワインの消費を増やした理由の第一番だ。また、家庭でも晩酌のお酒を選ぶ主が男性から女性に変ったこと。家で消費されるワインの八〇%がスーパーマーケットで購入されているが、買い手の七割が女性という調査結果がある。価格も七ポンド前後の、テーブルワインとしては高めな品が売れている。何よりも、食事と共に美味しいワインをいただく事が、中〜上流階級のみの慣習ではなくなったことは大きい。
 著しく変化したイギリスでのワインの飲まれ方だが、大きく育った市場は昔からのワイン輸出国に加え、新しい味を求めている。すでに、もっともよく飲まれるワインはフランスとドイツではなく、南アフリカとニュージーランド産だ。オーストラリア、他のヨーロッパ諸国と南北アメリカが続く。新顔にはインド、ブラジル、トルコ、ロシア、東欧諸国からインドネシアまで並ぶ。
 そんな中でデビューを狙っているのが日本の甲州ワインだ。長野県下一五のワイナリーが、Koshu of Japanという団体名の元に、EUワイン法に基づいて造った甲州種ワインをプロモートしはじめた。世界進出はまずロンドンから、と昨年から年一度の試飲イベントを開催し、関心を集めている。権威あるワイン・ジャーナリストの、J ロビンソン氏からも、「甲州はトップクラスの日本食に合う知的なワイン」というお墨付きを得て、これからの展開が楽しみである。外食としての日本食はイギリスに根を下ろした。すしバーから高級レストランまで毎月一〇店あまりが全国にオープンしている。ここでまず和食には日本のワインを、とイギリス人の舌を捉えることができればブレイクは目前だろう。日本からの輸出の障壁となっている為替レートの好転も祈りたい。
(ふくおかなお・ロンドン在住)

月刊 酒文化2011年03月号掲載