夏の名物ドリンク、ピムス

 日本でもよく知られるイギリスの夏のイベントには、ウィンブルドンで行われる国際テニス選手権大会、ボートレースのヘンリー・ロイヤル・レガッタ、アスコット競馬、グラインドボーン屋外音楽祭などがある。どれも昔は上流階級のための娯楽の場。夏と言えば、英国中の名家がこういったイベントに集まったり互いの屋敷の庭で豪華なサマーパーティーを開く、一年のうちで最も華やかな社交シーズンだった。
 これらのイベントに欠かせない飲み物が「ピムス」だ。正式には、ピムスというスピリッツを使ったカクテルのこと。薬草成分が入っていると言う茶色のお酒に、果物やきゅうりの薄切りを加えてレモネードで割ったさわやかなドリンクだ。由緒あるイベントばかりでなく、バーベキュー・パーティーやパブにも登場する。大きなピッチャーになみなみと注がれた冷たいピムスを囲む人々を見かけるようになると、夏が来たと実感する。
 ピムスは、ビクトリア時代のロンドンで、生ガキを食べさせるオイスター・バーを開いていたジェームス・ピムスが考案した酒だ。未だに、その作り方を知る人は6人だけという。初めは、カキの消化を助けるジン・ベースの薬酒として小さなジョッキ(タンカード)で飲ませていたそうで、そのジョッキ は「No.1 カップ」と呼ばれていた。これが商標となり、ウィスキーやラムをベースにしてNo.2からNo.6まで計6種類のピムスが作られた。しかし、何と言っても代表的なのはオリジナルのNo.1カップで、当時のジン人気と重なって多いに流行ったそうだ。
 この酒とカクテルを上流階級に広めたのは創業者ピムス氏ではなく、3人目のオーナーとなった帝国軍人にしてビジネスマンのホレーショ・ディビズ卿だ。のちにロンドン名誉市長も務めた人物だが、ローカルなスピリットに過ぎなかったピムスを瓶に詰めて大量生産し、海外輸出を展開し販路を拡げた。夏のイベント会場でピムスのカクテルをいただくやんごとなき英国紳士淑女、というイメージも、どうも彼によって宣伝されたらしい。それはすっかり定着し、今も、テムズ川岸に並ぶデッキチェアに収まりグラスを手にするヘンリー・レガッタの観戦客には、ストライプのジャケットに麻のスラックス、パナマ帽がとてもさまになっている人が目につく。アスコット競馬には、品のないフーリガンさえも来る時代になったとは言え、やはり特等席に座る人々の奇抜な帽子やグラスの持ちかたは、いかにも庶民とは違って見える。
 このカクテルには、レモン、ライムまたはオレンジ、リンゴといちごなどがどっさり入るが、忘れてはならないのがキュウリだ。ピムス本体のかすかな苦みと果物の酸味、そしてキュウリの青臭さは不思議によく合う。しかし、キュウリが使われる理由は風味ばかりではない。ビクトリア時代には、キュウリは遠くから運ばれてくる高級野菜だったそうで、いわばステータス・シンボルとして飲み物やアフタヌーン・ティーのサンドイッチに使われたものらしい。仕上げにはミントの葉がこれまたたっぷり加えられ、夏気分を盛り上げる。昔は、夏のイングランドに自生していたハーブであるボラージの葉が使われていたという。
 材料から飲まれるシーンまで、すべてに「英国」がぎっしり詰まったピムス。似た味のカクテルであるジン&トニックに比べ、季節感も格段に強い。ウィンブルドンのテニス選手権会場では、ピムス専用バーが過去40年に渡り必ず開設されてきた。毎年6月後半に行われる2週間のトーナメントの間には、8万杯以上が売れるそうだ。夏にロンドンを訪れる機会のある人は、パブでビールだけ頼まずに、このさわやかな名物ドリンクもぜひ試してみていただきたい。(ふくおかなを:ロンドン在住)

月刊 酒文化2011年08月号掲載