ロンドンの酒場シーンの今

 ロンドンでのお酒の飲まれ方が変化している。2007年の金融ショックのあたりは、スーパーから安いラガーなどを買って家で晩酌する人が多くなり、パブやバーなどへ出かける人が激減した。4年たった今はどうだろう。以前よりずっと多彩なお酒の楽しみ方が提供されるようになり、人々はまた外で飲むようになって来たという印象を受ける。お酒が飲まれる場とその飲まれ方が、ビールならパブで、ワインは主にレストランで食事のお供に、週末にはダンスクラブのバーでカクテル、と決まりきっていた所からどんどん広がっているようだ。
 まず、つまみを食べながら飲む、というのは日本人にとっては当たり前すぎることだが、イギリス人に取っては目新しい習慣だ。ロンドンや他の都市部でしかまだあまり見られない。過去に、数限りない日本料理店が、小皿の肴を皆でつつきながら飲むスタイルをイギリスに広めようとがんばったのだが、うまくいかなかった。それが、ヨーロッパ大陸から「ニブル(nibble=一口サイズの食物)&ドリンク」スタイルが押し寄せると、ロンドンは悔しいくらいにすんなりとこの習慣を受け入れてしまった。やはり、料理の味に馴染みやすさがあったのだろうか。
 つまみブームの陣頭を切ったのはスペインのタパス・バー。続いてイタリアからバカーロ(立ち飲み居酒屋)が上陸した。地元から呼び寄せたシェフの手になる本格的な大皿・小皿料理の数々が味わえるこの新しいバーは、ニブルと言えばポテトチップスとピーナッツ位しか知らないイギリス人を驚かせた。そしてこのトレンドに伴い、パブでも生ハムやオリーブなどの盛り合わせプレートを出すところが目立ち始める。メキシコやポルトガル料理のチェーン店もおつまみ普及に参加。今では、インドのストリート・フードを出すバーも。保守的な人は、つまみと言うコンセプトにも、同じ皿を他人とシェアして食べる事にも抵抗があるらしいが、一度経験するとその楽しさに目覚める。そして、空きっ腹にビールを流し込み続ける事が、つまらなく思えてくるそうだ。
 もうひとつの傾向は、スペシャリスト・バーの拡大だ。「ワイン・バー」「シャンパン・バー」など一種類の酒を専門とする店が、外国の酒にも広がっている。「アブサン・バー」「サケ・バー」「ショーチュー・ラウンジ」などは説明も不要だろう。前述のタパス・バーの中には、スペインのシェリー通が選んだ名酒が棚に並ぶ「シェリー・バー」と呼ぶべき店もあり、イギリスでは料理酒の代名詞だったシェリーのイメージを一新したと言われている。マイクロ・ブルワリー直営や、ドラフトの地エールだけを集めたパブなどもこの中に入れてよい。ここで「何でもいいから冷えたラガーを一杯」なんて注文できそうにないからだ。
 最後に、エンターティメントとお酒の組合わせのバラエティ増加も見逃せない。ライブハウスで音楽を聴きながら飲む事に加え、かつてコミカルでお色気もあるショウを見ながら飲む酒場であった、キャバレーやミュージック・ホールの復活が見られる。さらに、二人がけのソファにくつろいで、お酒を飲みつつ大スクリーンで作品を鑑賞できる映画館。以前から一館だけありロンドンッ子秘蔵のデート場所だったが、これからもっと増えそうだ。
 このトレンドを、ただお酒を売るだけだったパブやバーが、不況により手を替え品を替えただけ、と言ってしまえばそれまでだが、 結果的にはイギリス人の酒の飲み方を大きく変化させる引き金になっている。ロンドンにある日本食の居酒屋で、つまみを並べて飲むイギリス人グループが珍しくなくなったのは喜ばしい。(ふくおかなを:ロンドン在住)

月刊 酒文化2011年11月号掲載