ブラジル日本酒ものがたり

 私がブラジルに住んでもいいな、と思った理由の一つに地場産の日本食材があったことがあげられる。和食党の私は20年以上前にイギリスへ留学した際、醤油やおせんべいが恋しくて仕方がなかった。だが、ブラジルでは日本からの輸入品が入るずっと以前から、醤油や味噌はもちろんのこと、豆腐や納豆、さつま揚げ、そして日本酒まで現地で作られていたのだ。
 これは101年前に始まった日本からの移民のおかげ。日本から移民として田舎に入植した日本人たちは、トマトに塩を入れて煮詰め醤油代わりにしたり、ローゼルガクを梅干のように塩漬けして「花梅」という独特の代用品を作ったりしていた。日本移民は戦前・戦後を通して約30万人がブラジルに渡り、その子孫が今や五世、六世にまで達し、今では日系人口は約150万人と言われている。その三世までと配偶者が1990年の入国管理法改正で、デカセギとなって日本で就労している。
 さて、話を日本酒に戻すと、ブラジルでの日本酒製造の歴史は古い。最初の移民がブラジルに到着してわずか19年後の1927年には、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎が東山農場を設立した。その農場は現在も規模を縮小しながらも存在し、主にコーヒーや最近ではプチトマトなども生産している。
 2005年にはその農場内に大規模な移民の家のセットが作られ、NHK放送80周年記念ドラマ「ハルとナツ」のドラマロケとしても使われた。ちなみに「東山」は岩崎弥太郎の雅名で、ブラジル東山農場の創設者・久弥は弥太郎氏の長男である。
 農場設立7年後の1934年には、同農場内で「東麒麟」という日本酒が作られた。ただし、当時は飲むと翌日には頭が痛くなることから「頭キリン」などと陰口も叩かれるような代物だった。近年は日本のキリンビールからの資本と機械が導入され、なかなかのお味となっている。
 ここ数年、ブラジルも健康ブームの影響で寿司や焼きそばといった日本食が大人気。それにあわせて、古くから現地で生産されている日本酒も一挙に注目を集める商品となった。かつて日本人だけが日本酒として、オーソドックスに味わっていた日本酒もブラジル人が入り込むと、とたんにブラジル風な飲み方となる。それが「酒ピリーニャ」だ。
 酒ピリーニャとは、ブラジルで飲まれている火酒(サトウキビの蒸溜酒)にライムと砂糖、氷を混ぜたカイピリーニャからヒントを得たもので、火酒の代わりに日本酒を用いる。日本酒は火酒よりアルコール度数が低いため、女性にも飲みやすいと評判だ。さらに火酒より割高な日本酒は、高級感にあふれ、ちょっとセレブでお洒落な層を中心に人気が高まっている。加えるフルーツも果物王国らしくライムだけとは限らない。キウイやパッションフルーツ、すいか、パイナップルと新鮮な果物にお砂糖を加え、グラスに氷と浮かべるとお洒落なお酒のカクテル「酒ピリーニャ」の出来上がり。こうした日本酒の人気の高まりから、最近、サクラ醤油という地場産の醤油メーカーも日本酒製造に参入、「大地」というブランドを立ち上げた。
 ところで以前、本場・日本からの輸入物日本酒と地場産日本酒とをそれぞれ「酒ピリーニャ」と「生」で飲み比べてみたことがある。すると、「生」では断然、本場モノがうまいのだが、「酒ピリーニャ」にすると不思議と地場産の酒で作った方がうまい。このことを日本の友人に伝えると、その友だちは日本からわざわざ手土産に本場モノの日本酒を持参して来て、交換条件はブラジル産の日本酒をくれとのこと。美味しい酒ピリーニャを日本で作ってみたいという意向だ。同じ日本酒でもやはり、それぞれの生まれ故郷と地元に馴染んだお味がある? ということなのだろうか。
(おおくぼじゅんこ:サンパウロ在住)

月刊 酒文化2009年08月号掲載