ノルマン・コンクエストへの逆襲が始まったワイン業界

 ブレターニュ地方とノルマンディ地方の境にあるモン・サン・ミッシェルのレストランのワインリストに、「ノルマンディ産」の白ワインを発見して驚いたことがある。読者の皆さんもノルマンディではワインが生産されないと記憶していらっしゃた方も多いのではないか、と思う。
 フランスの農業省の管轄、INAO(国立原産地と品質管理機構)が認定するAOC(アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ)がつくるワインの産地地図には、しっかりと「ぶどうが育つ条件を満たす限界線」が引いてあるものがある。ロワール川の北辺りから、イル・ド・フランスを斜めに北上し、シャンパーニュ地方、モゼル地方へ伸びる線で、ブレターニュ地方、ノルマンディ地方、ピカルディ地方、ノール地方はぶどうが育たない、年間平均気温が10〜20度に満たない地域とされている。しかし、これは「20世紀の主な産地」で、元々はこの線より北でもワインはつくられていた。
 ワイン醸造の文化は、ローマ帝国のヨーロッパ侵略、キリスト教の布教と共に伝承され、「キリストの血」は教会や修道院の周囲で生産された。ノルマンデイ公国の歴史は、フランス王シャルル3世がヴァイキングの首領ロロンに領有を認めた911年に始まるが、その前から、ノルマンディ地方にあった大聖堂のうちリジューでは、ワインの畑についての記述が6世紀にまで遡るそうで、「モン・サン・ミッシェルを建てよ」とお告げを受けた司教のいたアヴァランシュ大聖堂もワイン畑を持ち、13世紀頃になると、首座大司教の大聖堂、ルーアンに続くセーヌ川添い(ヴェルノンからレ・ザンドリ)にも大きなワイン畑が存在。カンの南東あたりの丘陵地でできるワインは17の修道院で分けられたという。
 この時期の欧州は中世の温暖期(10〜14世紀)にあたり、年間平均気温は10〜20℃、北緯30度〜50度といわれるぶどうの栽培地域帯が、北に広がった時期にあたる。その後、小氷期と呼ばれる寒冷な時代が訪れワイン畑は北から減り、害虫に強く生産も安定するリンゴによるシードルの生産が増えていった。そして現在、地球温暖化の影響で平均気温は上がり、ワインにも影響が出てきている。
 私が飲んだノルマンディのワインは『ARPENTS DU SOLEIL(太陽のアルパン)』という、カンにほど近いカルヴァドス地方グリジ村のヴァン・ド・ペイ(2011年より)。ルイ15世の公式地理学者が制作した地図には「ワインの館」と記されている由緒のある畑を復活させたものだった。18世紀からサン・ピエール・シュル・ディーヴ村の公証人の所属になっていた畑を、1990年に同じ公証人事務所の主となったサムソン氏が買い上げ、自身のワインづくりの夢を実現するかたちとなったのだそうだ。
 ノルマンディ地方は「雨の多い寒い地方」というレッテルが貼られているが、この辺りはカンより25日雨が少ないという乾燥したミクロ気候で、ぶどうがうまく育つ。地質的には、コート・ド・ボーヌのグラン・クリュ、シュバリエ・モンラッシェの畑に極似するのだそう。粘土とカルキ土質でジュラ岩盤の地層の上に砂利の多い地層が重なっており、水はけも最良、ぶどうの根が数メートル張れる状態で、水不足にも強い畑だ。
 地球温暖化の影響でワインの生産地域は北上してきている。特に近年の英国ワインの質と評価は急上昇中だ。ワインでノルマン・コンクエストへの逆襲を図られたような21世紀が始まり、ノルマン人も黙ってはいないだろう。
(ともこふれでりっくす・ノルマンディ在住)
2014年秋号掲載

月刊 酒文化2014年09月号掲載