酒づくりは、正にセレンディピティ・ワールド

 19世紀、電磁気学を築いたハンス・クリスティアン・エルステッドという物理学者は電池のスイッチをオン・オフすると近くにあった方位磁針が北でない方向を指す事に気づいたのが発端だったという。引力を発見したニュートンのリンゴを見てピンと来たエピソードも然り。この、偶然に起こる事柄を新たな視点で考察しそこから何かを学びとる力、つまり発明や成功に結びつける力の事をセレンディピティという。ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんもセレンディピティを持った方で、実験中の間違いが2002年の受賞対象の大発見につながったのだそうだ。
 酒の歴史も然り。江戸後期の『摂陽落穂集』に書いてあるように、鴻池山中酒屋の下男が主人へ腹いせに灰を酒桶に投げ込んだところ濁り酒が偶然に澄んだ香味のよい酒(双白澄酒)に変わったというアクシデントが清酒づくりの発端だ、というのが定説だ。シャンパーニュも、17世紀に英国で人気になった「偶然にできる瓶内二次発酵の発泡ワイン」を分析し、この発泡ワイン醸造法がシャンパーニュ地方で始まったという。
 古代アレキサンドリアの錬金術がイスラムに伝わり、十字軍時代が始まった11世紀、欧州の錬金技術師はワインなどの醸造酒を蒸溜器(アランビック)に入れてみた。こうしてつくったアルコール度の強い液体を、“不老不死となることができる霊薬”エリクサーとし、アクアヴィテ=命の水という名前を付けてヒット商品にしたという。こんな訳で、ブランデー、ウィスキーなど蒸溜酒も、錬金技術師によるセレンディピティの賜物だと言って良いだろう。そして16世紀になると、ヨーロッパ小氷期とも呼ばれる寒冷時代がワイン生産量に影響し、“命の水”の原料は次第に穀物系に変化する。北欧では18世紀に普及したじゃがいもを主原料にしたアルコールがメインになり、“アクアヴィット”と呼ばれるようになる。これはキャラウェイ、フェンネル、アニス、コリアンダーなど香草の風味がついた透明なホワイトスピリッツだが、ノルウェー産のリニエ・アクアヴィットは琥珀色で味わいも異なる。
 これは、1805年にトロンハイムを出航した貿易船に積まれていたアクアヴィットが、樽に入って揺られて旅をした結果だった。チーズや干した魚、ハムほかの産物を売りに出た船は、赤道を通過し南半球のオーストラリアへ、そしてインドネシアのバタヴィア(現ジャカルタ)まで行き、再びカリブ海を通過し1807年に帰国。航海を終えた樽の中のアクアヴィットは琥珀色になっており、ほんのりと甘みが加わっていたのに気が付き珍重された。これ以来、この“赤道を超える航海”を製造法として現在も伝承するのがリニエ(赤道)・アクアヴィットという酒だ。10〜15年シェリー酒を所蔵した古い樽にアクアヴィットを入れて約19週間、35カ国の国境を越える船旅をさせ、波に揺られながら熟成されたものがノルウェーに帰国し、瓶に詰められる。しかも、それぞれの瓶の裏に出港、帰港日の記録も記されることになっている。
 そもそもセレンディピティの語源は、16世紀に書かれたという「セレンディップの3人の王子」というペルシャ語の寓話から来ている。セレンディップ(現セイロン島)の王子達が旅の途中に意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明な解釈によって探していなかった何かを発見するお話だそう。この王子達といい、リニエ・アクアヴィットといい……「旨い酒」という「セレンディピティの賜物」との出会いを期待し、旅にでたくなる。
(ともこふれでりっくす・フランス在住)
2015年冬号掲載

月刊 酒文化2015年01月号掲載