NYCで味わいたいアイリッシュビール

 三月一七日は、セントパトリックデイ。アイルランドにキリスト教を広めた聖人パトリックの命日だ。毎年、この日はニューヨークの街が緑で埋め尽くされる。クッキー、キャンディといったスイーツからパーティー用のネックレス、帽子、靴下などありとあらゆる緑のグッズが一週間前から店頭に並ぶ。そして当日は皆、グリーンカラーでコーディネート。ネクタイ、バッグ、マフラー、トレーナーなど何かしら緑を取り入れた装い。そんな道行く人を見るのも楽しい。
 ニューヨークはアイルランドからの移民の多い街だ。当日は朝から開いている老舗のアイリッシュパブで、さっそく一杯にありつこうと人々が行列をつくると聞くと、会社のマネージャーが「今日は酔っ払いが多いから早く帰宅するのよ」と促すのもわかる気がする。
 さすがに、当日アイリッシュパブに行くのは気後れしてしまうが、その前に雰囲気を味わってみようか。退社後、ビール通の同僚を誘って老舗の一つ、グラマシー地区の「モーリーズパブ」へ立ち寄ってみた。一八九五年にオープンしたパブは、禁酒法が制定されていた時代にもグロサリーストアとして営業を続け、やがてパブとして再開。オーナーが替わり名前も「モーリーズ」となったが、木のぬくもりのあるカウンター席やレトロ感あふれる店内は、一九世紀から続くノスタルジックな雰囲気を伝えている。
 さて、ビールは何にしよう。『マーフィーズ・アイリッシュ・スタウト』に『ギネス・スタウト』あたりが定番なのだろうが、少しライトな『ハープラガー』にしてみようか。同僚は『スミティックス・エール』を注文。運ばれた両ビールは色こそ違うがどちらもまろやかでコクがあり、特に赤味の強い『スミティックス・エール』はフルーティな甘さも感じられる香しいテイスト。このビールを出す店は少ないらしい。さすがビール通の同僚の選ぶものは違う。
 アイリッシュビールに合う料理と言えばシェパーズパイ。ひき肉と野菜を敷き詰めたその上にマッシュドポテトを重ねて焼き上げた伝統的な家庭料理である。アイリッシュパブに行ったらぜひ味わいたい一品だ。
 後日、ペンシルバニアステーションの一角にあるフードコートのバーカウンターで、『ギネス・スタウト』を注文してみた。パブで飲むギネスは独特のクリーミーな泡立ちで、コーヒーを飲むような感覚だが病みつきになる人も多いらしい。アイリッシュパブに一人で入れなくても、フードコーナーでなら気軽に飲んで帰れそうだ。
 ニューヨークの老舗のアイリッシュパブとしてはほかにも一八六八年創業の「ザ・ランドマーク・タバーン」、昔は女人禁制だった「マックソーリーズ」などがある。ハーレムの「レノックス・ラウンジ」もそうだが、近年は家賃高騰などの理由で、こうした老舗のバーやレストランが閉店することも多い。またスーパーマーケットでは、アメリカの各地のクラフトビールのほか、ベルギーやインドなどのビールが陳列棚を占領している。移民の伝統を受け継ぐアイリッシュパブが、ニューヨークの街にずっと存続していくことを願うばかりだ。
(あおきたかこ・ニューヨーク在住)
2018年特別号上掲載

月刊 酒文化2018年09月号掲載