ひとくちでドイツと言うけれど

 2005年秋にフランクフルト近郊で創業してから7年。各都市で日本酒を営業していて実感したことは、ドイツは連邦国家であり、16の連邦州や地方都市のキャラクターがそれぞれ歴然と違うということだ。東西ドイツ統一を経て首都は再びベルリンに制定され、文化的にも世界に向けて発信する力は強いのだが、ベルリンで流行っているものがすぐにドイツの他都市に波及するわけではない。中世からの侯爵領をベースとした歴史、経済、文化における独自の発展がメンタリティーの違いと都市間の競争意識を生み出している。以下、各都市の特色と食文化に対するコメント、日本酒の営業にまつわる逸話をご披露しよう。
●ベルリン(人口340万人)
 首都だが経済的な基盤がなく、失業率が高く住民の購買力も低い。近年は観光、ショッピング、ホットなクラブシーンなどで世界中から観光客や長期滞在者を魅了している。高級ホテルが次々にオープンし飲食シーンもトレンディだが、中でもベルリンのギャング団出身のスターシェフ、ティム・ラウエはチャイニーズ、ジャパニーズからインスパイアされた料理でドイツ料理界の話題を独占している。ホテル・アドロンのエグゼクティブ・シェフをしていた時代にはShochu Barをレストランに併設し、焼酎カクテル、日本酒を提供していた。2010年に独立開業した現在のレストランでも20種を超えるプレミアム日本酒がワインリストにあり、ソムリエが料理に合わせて勧めてくれる。いくつかのバーでもお酒を扱っているが、流行すたりが激しく従業員も流動的なので目が離せない。
●ハンブルク(170万人)
 ハンザ同盟の中心的役割を担い、ロッテルダムに次ぎ欧州第2のコンテナ取り扱い量を誇る。ワインやコーヒー、スパイスなどの輸入業者、船主や富裕な商人たちがノーブルでインターナショナルな食文化を醸成してきた。かたや庶民的な酢漬けニシンや燻製魚などもスペシャリティーだ。日本酒に関しては、進歩的な料飲マネージャーのアイデアで高級ストランのメニュー入りすることもあるが、数年の営業が実ってやっと採用されるケースもある。顧客との間で信頼関係が成り立てば、商売としては継続的で堅実である。
●ミュンヘン(130万人)
 南ドイツバイエルンの州都で、オクトーバーフェストで多くの観光客を集めるビールの都。ヴァイスブルスト、豚の丸焼きなどバイエルン料理には定評がある。「百万人の村」と揶揄されるように人々の結びつきは強いのだが、保守的で排他的な面もある。シッケリアと呼ばれるショービズの世界の人や成金が流行を生み出しているが、食に関しては保守的でベルリンの流れとは対照的。日本酒を和食と一緒にはOKだが、西洋料理と合わせるなどもっての他。「名物の豚肉料理に山廃造りの日本酒が合いますよ」と、あるグルメ番組製作者に勧めたら彼の常識を傷つけてしまったようで、それまでの陽気な表情が一瞬にして凍った。
●フランクフルト(人口60万人)
 欧州中央銀行の本拠地で、金融の街。ロスチャイルド家の発祥の地でもあるように富裕なユダヤ人が食文化にも貢献し、戦前には食文化博物館もあったとか。欧州のハブで航空貨物取扱量No.1を誇る空港があり、メッセ都市でもあるフランクフルトは非常にオープンで気取らない街だ。ロンドン、NY、東京と世界中を渡り歩くビジネスマンも多い。和食の店は他の都市も同様だが接待系の高級店や老舗が振るわず、若い経営者が自らシェフを務める居酒屋系の店で日本酒がよく出ている。
 その他、百万人以下の中都市はケルン、デュッセルドルフ、シュトュットガルトと数多くあるが、都市ごとに営業の仕方を微妙に調整し人脈を作っていく必要がある。しかし、その地方特性、固有の飲食シーンに新風を呼び込むのはレストラン、バーの従業員の流動性だ。飲食業界はハードな労働に比して、賃金が安い。キャリアアップのために、転職は必須だ。ベルリンなどは半年も経つと従業員は様変わりしており、お酒のサービス教育などもかなり頻繁に行う必要がある。その分、他の都市に移った顧客から「新しい店をオープンするから、日本酒を入れたい」と引き合いがあったり、蒔いた種が忘れた頃に遠く離れた土地で芽吹くことが、当地で日本酒を売る醍醐味でもある。
(上野ミュラー佳子 クローンベルク在住:ウエノグルメ代表)   ■

月刊 酒文化2012年08月号掲載