オイルマネーとラマダン

 夜更けの商店のウインドウに並ぶ黒い人影。それを追うように4、5人の人影。そのまた向こうには何人かの人影が見える。ハロッズの正面にあるレストランには、夜中の12時だというのに人が出入りしているのが見え、水タバコの煙もホツホツと上がり、その煙は遅くまで絶えることが無い。
 紫や水色、時にはオレンジに塗装されたフェラーリやランボルギーニ、アストンマーティン等の高級車が、まるでその鮮やかな車体を見せびらかすかのように至る所で走り回っている。そんな光景を見ると、あぁ、もうそんな時期か、と思う。
 夏、ロンドン市民の多くが余暇のために国外へと発つ。それとは反対に、裕福な観光客がアラブ諸国からロンドンへとやって来る。毎日買い物三昧の彼らは、この時期ロンドンの各デパートや商店にとっては神様のような存在なのだ。スローンストリートという有名ブランド店の並ぶ通りには黒塗りの車が並び、中では運転手が退屈そうに主を待っているのを目にする。
 アラブ諸国はイスラム圏、酒を飲むことは禁じられている。そのため、この時期、レストラン全体のアルコール消費量はがくんと落ちるのだが、一方で高額なワインや日本酒は最も多く動く。1本1000ポンド、2000ポンドのワインやシャンペンがあっという間に消費され、日本酒も、何でも良いからとにかく最高の物を飲みたいと言う客が目立つ。味よりも値段で選んでいる傾向が顕著で、時には胸を痛めることもあるのだが…。
 極端なワインの例では、ゴージャスこの上ないシャンパーニュである1999年のクリスタル(ルイ・ロデレール)に桃のピューレを注いで飲んでいたり、当時オンリストしている商品で一番高額だった1本4000ポンド近くするワインを、アルコールを飲んでいる姿を誰かに見られたらとんでもないことになるからと、湯呑みに注いで飲んでいたりする。それがラマダン(断食月)の始まるまで続き、ラマダンの開始とともに見事に姿を消す。
 毎年、弊社ではラマダンの期間にいつも大きな打撃を受ける。あんなに好き勝手していた富豪達も、日照時間中は断食を強いられるのだ。日没してからもアルコールはとりあえず触れることも飲むことも出来ない。
 例年、このラマダンの時期、多くのロンドン市民はまだまだ国外で休暇を楽しんでいる。裕福なアラブ系の観光客たちは母国に帰ってしまうため、店内からはあの祭のような雰囲気が消える。だが、今年はオリンピックがあった。ロンドンでオリンピックが開催されたことで、関係者をはじめ、多くの観光客が来店した。
 ロンドンにとっては今世紀に入って最大のイベント、オリンピックの前例があるとは言え、さすがに1948年とは訳が違う。多かれ少なかれ観光客が増えることはもちろん予想していた。そして私たちは、その観光客に向けて日本酒を提案する作戦をたてた。“日本酒は高いから手が出ない”と言うイメージを持ってもらいたくないので、メニューの構成にも、通常よりやや安価な商品を、一番目を引く季節商品のページに加えるなどの気を使ったのである。
 そして、いよいよオリンピック開会。開会式以降、店内は毎日満員。一日中走り回る。こんなにもオリンピックの効果はあるものか。世界各国からやってくる関係者や観光客が中心だったが、意外にも彼らは安価な商品には目もくれない。ラマダンの始まる前と同じ、毎日高額なワインや日本酒が品切れになる日が続いた。ただ、違っていたのはほとんどの方が日本酒を少なからず知っている様子だったこと。1本注文し、気に入るとその後は2本、3本と続く。また、気に入っても、次はもっと美味しい日本酒を、もっと最高の商品を、と要求してくる。そんな客がロンドンに滞在中何度も来店する。
 なかでもアメリカ人は日本酒に対しての知識も認識も深く、話していてとても楽しかった。みな、日本食を食べることは、良い酒を一緒にいただくことだとふまえている。時々いる、ボルドーの赤ワインを飲みながら寿司を食べる、と言うような客は見当たらなかった。
 オリンピックの終わったロンドンは物寂しい。祭の後の静けさと言おうか、街にも勢いが無い。あの凄まじい勢いはどこへ行ったのか。だがこの静けさが続くのも数週間だろう。9月に入ればまた活気づき、年明けまで勢いは止まらないのがロンドンだ。大久保里美(おおくぼさとみ・Zuma Restaurant・http://www.zumarestaurant.com/:ロンドン在住)

月刊 酒文化2012年10月号掲載