九頭竜川の谷あいの街
勝山 |
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越前大野をあとに、隣りの勝山に向かう。トンネルを抜け九頭竜川を渡るとじきに市街地に入る。ここには県内最大の清酒メーカー一本義久保本店がある。
勝山の歴史はどこから語ればよいのであろうか。なにしろ今、町おこしの中核となっているのは恐竜である。一九八九年に始まった発掘調査で、イグアノドンなどの恐竜の化石が次々に出て、市内には県立恐竜博物館が設置された。城下町としては、江戸時代初期に徳川家康の孫にあたる松平直基が三万石で入ったのが始まりで、後に小笠原家の支配となり明治を迎えた。
白山国立公園と奥越高原県立公園に囲まれた盆地で、山が九頭竜川に落ち込む谷あいに細長く伸びる。当然、水に恵まれて いる。水質は酒づくりにむいた軟水。
一本義久保本店は、もともと生糸業や林業を営んでいた。二代目の久保仁吉氏が、当地の酒蔵が廃業するにあたって酒蔵道 具一式を譲り受け酒造業を始めた。当時、酒名は「沢の井」であったが、後に勝山藩主代々の醸造銘柄「一本義」の銘を譲り
受け今日に至っている。一本義とは禅語の「第一義諦」からの出典で、最高真理を意味する。
地域一番の酒蔵「一本義」
勝山 |
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同社は福井県内で最大の清酒メーカーであり、約一万石を醸造している。全国では60〜70番目くらいの規模であるが、純米酒や吟醸酒の割合が高く、本醸造などの上級酒の出荷量では全国で20〜30位と順位を上げる。九割が県内で飲まれており、地元でもっとも広く愛されている酒と言ってよい。
同社でも酒米づくりへの取り組みは熱心に進められている。篤農家と地元農協と連携して酒米研究会を運営し、営農指導や さまざまな品種の栽培に精力的に取り組んでいる。五百万石、山田錦、そして福井県が開発した新品種「越の雫」。
酒づくりの基本方針として、「米のポテンシャルを引き出した、しっかりした酒をつくること」を第一にあげる。奥越前の五百万石
の特徴を生かすということであり、米とできた酒の関係を問うていこうという意図があるのだろう。同社が同じ土地で栽培した山田錦と五百万石を使って酒をつくり、それぞれ飲み比べることができるような商品を開発したのは、おおもとにこうした酒づくりの思想があるのだと思う。酒造設備はさすがに規模が大きいが、要所は杜氏の技が締める設計となっている。高齢化が進んでいる杜氏たちの技術の伝承にも熱心に取り組んでおり、社員による酒づくりに準備も着々と進んでいる。
酒米産地としての風土を生かした酒づくりを進め、高い品質でより大規模なメーカーと差別化し、地元で愛されることを優先する蔵。地域一番の清酒メーカーらしい姿がここにある。

新しい飛躍に向けて |
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いま、一本義久保本店のように県内比率が高く、ある程度の規模をもつ清酒メーカーは難しい選択を迫られている。このクラスのメーカーは従来の二級酒(佳撰)の売上構成比が高い点が共通するのだが、リーズナブルな価格の酒のユーザーは低価格なものへとスライドしやすく、スケールメリットを発揮できるより大規模なメーカーの攻勢を正面から受ける。ユーザー自体も高齢化が進んでおり、新しい顧客を獲得するだけの情報価値がないため数も増えない。つまり主力商品が揺らいでいるのである。
情報価値の高い酒にいかに軸足を移していくかが課題となるが、多くの従業員を抱える中で雇用を守りながらそれを成し遂げるのはそれほど簡単なことではない。平成一〇年、同社が酒類卸業を分離し、清酒製造専業メーカーになるべく組織変更をしたのは、この大仕事に資源を集中投下し、新たな飛躍を遂げるためであろう。
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いま、越前大野と勝山には花垣と一本義を含めて5つの酒蔵がある。明治・大正期には30社以上あったという。最高品質の五百万石の産地であり、良質な水が豊富なこの地方は、日本酒を造るためにある。銘醸地として近い将来新たにテイクオフしてほしい。そんな想いを胸に奥越前の地を後にした。
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お酒の四季報(2002年夏号) |