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石川県の銘醸蔵「福光屋」が本格的に全国展開を始めたのは平成四年。それから八年、食に厳しい金沢市民の舌で鍛えられた個性あふれる酒質と卓越した商品政策で、着実に全国にファンを増やしている同社の酒造りへの姿勢をご紹介する。
銘酒を育んだ金沢の風土」 |
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石川県金沢市の人口は四五万人。江戸時代には、東京・大阪・京都に次ぐ日本第四の都市であり、言わずと知れた加賀百万石の前田家の城下町である。
幕府からその財力を警戒されないために、前田家は江戸や京都から様々な文化や伝統工芸技術を移植して振興に力を注いだ。その結果、北陸の風土と融合して独自の文化が形成されるようになった。その伝統は、明治になっても途絶えることなく今日にまで伝えられている。
それが特に顕著に現れているのが美術工芸品のレベルの高さと種類の多さである。色彩の豊かな九谷焼、優雅に洗練された金沢漆器、日本一の金沢箔、加賀友禅、加賀刺繍、加賀水引細工、金沢仏壇など、分野は多岐に渡る。また和菓子も金沢を代表する特産品であり、その種類の多さと伝統に根づいた消費量の多さで有名である。芸術面では、泉鏡花や室生犀星などの文化人も輩出し、文化を尊ぶ気風の強い町である。毎年当所で主催している「旬のお酒と狂言を楽しむ会」の東京会場に出演いただく和泉流狂言師野村万蔵家も金沢の出身である。明治維新後に野村万之丞さんの曾祖父に当たる五世野村万蔵師のときに東京に移り住んだ。
金沢の町は、先の太平洋戦争で空襲の被害を受けなかった。従って、お城と寺院と古い街並みが渾然一体として今に残り、独特の落ち着いた雰囲気を醸している。この地で寛永二年(一六二五年)の創業以来三七五年の歴史を持ち、現在石川県でト
ップの二万五千石ほどを製造している造り酒屋が福光屋である。記録によると福光屋の初代は、安永年間に隣りの富山県福光町から移り住んできた塩屋太助という。そして、今と同じ場所にあった酒蔵を購入して酒造りに乗り出す。
その後、代を重ね、六代目福光松太郎(現社長の祖父)に後継者がいなかったため、旧制四高(現金沢大学)に通っていた甥(妹の次男)に当たる福光博(現会長)が養子になり、昭和二二年に社長を継いだ。七代目の時代に福光屋は酒質本意の経
営努力を重ね、北陸トップの酒蔵に成長した。昭和六〇年、会長が六二歳のときに八代目に経営がバトンタッチされた。本社と酒蔵は兼六園にほど近い場所にある。今では、表通りから見ると繁華街の中にある単なるビルとしか思えず、酒蔵と気付かずに通り過ぎてしまう人もいるという。しかし、その裏手には、昔からの福・禄・壽の三蔵と「百年水」が湧き出る井戸がある。
主力銘柄の「福正宗」をはじめ「加賀鳶」「黒帯」「百々登勢」「風よ水よ人よ」「鏡花」など個性溢れる多数の銘柄を発売し、また長期熟成酒のパイオニアとしても名高い同社を訪れ、福光屋の酒造りに対する考え方を八代目当主福光松太郎社長(五〇歳)に伺った。
福光屋は、そのお酒の評価の高さや地元での知名度に比べると東京では無名であった。それは、昭和五〇年代の地酒ブームの頃には殆ど県外出荷をせず地元でのみ消費されていたからだ。
県外出荷に力を入れ始めたのは、ここ一〇年程のことである。このように聞くと因習固陋な蔵であったのかと想像される向きもあるが、決してそんなことはない。研究開発や宣伝広告、マーケティングといった分野にも早くから熱心に取り組んでいる。年輩の方はよくご存じの毎日新聞連載漫画「フクちゃん」(横山隆一)を昭和三〇年代に広告キャラクターに採用するなど、一地方企業のレベルを超えた取り組みも見せている。昨年は、ミレニアムということで、久々に「フクちゃん」によるテレビCMを復活させてオールドファンを喜ばせた。
また商品開発では、昭和三五年から長期熟成酒の研究に取り組むなど、進取の気象を見せている。この熟成酒ヘの取り組みが、現在の福光屋の酒の味を決める大きな特徴ヘつながっていく。しかし最初の三年熟成酒「福正宗・オールド」が誕生したのが昭和四四年であったということからも、いかに大変な作業であったかが伺われる。
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