自分たちの流儀で日本酒を楽しむ

 ニューヨークに住んで早30年目を迎える。五番街を颯爽と歩く女性たちを見て、あんな風になりたいと思ったのが運の尽きだった。紆余曲折の末筆者の野望はすっかり萎んでしまったが、時とともに益々強靭な存在感を示す酒がある。日本酒だ。
 私がここに居を構えた80年代は、日本酒を常温、あるいは冷やして飲むという習慣が、まだアメリカには紹介されていなかった。日本食通と言われるアメリカ人でも、酒は熱燗で飲むもの、と思い込んでいた。30年たったいま、ミシュランから三ツ星を授かる最高級シーフード料理店が、テイスティングメニューのペアリングワインに、定番ドリンクとして大吟醸を取り入れるほど、日本酒の地位は向上した。
 昨日、“アメリカのゴッド母ちゃん”と私が慕う友人と、ダウンタウンに寿司を食べに出かけた。彼女の大の好物は刺身で、寿司屋に行っても寿司は頼まず、専ら刺身をつまんでいる。彼女は、この国のインテリ女性によくみるタイプというか、筋金入りの健康志向で、長年頭で食べるものを選んできた。一緒にヨーロッパを旅したことがあるが、アルコール類には一切口をつけなかった。 
 それが昨年あたりから急に日本酒を飲み始めて、回りの者を驚かせた。曰く「こんな美味しいものを生涯飲もうとしなかった自分が馬鹿に思えて仕方がない」とのこと。それも行きつけの寿司屋が出している福井産のにごり酒がことのほかお気に入り。あいにく昨日の寿司屋には岐阜産しか置いていなかったが、昼間から2杯ほどグラスを空けてけろりとしている。
 すごいのは、生まれてからこの方、ずっと日本食に慣れ親しんできたというマンハッタン生まれの息子だ。彼も刺身が三度の飯より好きで、よくメーン産やメリーランド産のウニと、築地から空輸されてきた日本産のウニの味を比べたりしている。日本酒のブランド名も軽く30は空で覚えている(アメリカ人にとっては、仏ワインの銘柄を覚えるより至難の業である)。
 先日、彼ら母子とトライベカの寿司屋に行ったときに驚いたのは、食前酒のあとに大吟醸を注文したところ、アメリカ人のウェイターが、ボトルを静々と持ってきたかと思ったら、やおら息子にテイスティングを薦めたことである。息子も慣れたもので、2オンスほど注がれた酒をぐいと飲み干すと、ウェイターにOKサインを出した。ラベルの見せ方も、テイスティングの作法もワインとまったく同じである。これまで純日本風の店(給仕ももちろん日本人)でしか日本酒をボトルで注文したことがなかった筆者は、カルチャー・ショックに陥ってしまった。
 熟成した年代の古いものが高価値をもつワインと違い、日本酒は新しいほうが美味しいと言われて育った。ボトルには賞味期限は記されていないものの、米国では大半の日系スーパーが、製造後1年近くなると日本酒の安売りを始める(実は、それを心待ちにしている日本酒ファンも少なくない。それほど商品管理は行き届いている)。にごり酒であれば多少の劣化はあり得ても、レストランで日本酒を毎回テイスティングする必要があるとは思えない。
 が、次世代の消費経済を牽引する米国の若者達が、自分たちの流儀で高級日本酒を楽しみ始めたことは、歓迎すべきことだと思う。一体彼らは日本酒の何に価値を見出しているのだろうか? ひと言で言うと、それは蔵元の歴史でも産地の特性でもなく、ただひたすら味が気に入ったからだと思う。
 Quality sells itself.旨くなければ売れるわけがないのである。
(たんのあけみ・NY在住)
2014年春号掲載

月刊 酒文化2014年05月号掲載