トングムがつくった酒文化

 韓国では一九八〇年代初めまで「トングム」という制度(?)があった。「夜間通行禁止」の意味で略して「通禁(トングム)」と称していた。これは午前零時から四時までの外出禁止令だ。
 いわゆる戒厳令とは違う。北からのゲリラやスパイが横行していた時代で、一九六〇年代以降、安保上の理由から常時、そうなっていた。その結果、午前零時から四時まで韓国社会は完全に動きが止まった。韓国人にとっては一日を二〇時間で過ごしたことになる。
「トングム時代」には悲喜こもごもいろんなことがあった。たとえば午前零時以降は外を歩いていると警察にひっばられるため、夜更かししすぎて家に帰れなくなることがしばしばあった。その場合、仕方なしに旅館など安宿で明け方まで過ごし、午前四時を過ぎてから帰宅となる。
 こんな環境下ではすぐ悪巧みを考えるヤツがいる。ガールフレンドと一杯やりながらつい時間を忘れ、家に帰れなくなったといって旅館に泊まり、ついでに何とかというケースもずいぶん多かった。したがって当時は街に旅館がずいぶんたくさんあったものだ。
「トングム時代」の最大の苦労は帰宅戦争だった。午前零時が近づくとみんなあわてて帰宅を急ぐ。当然、タクシーの奪い合いになる。サラリーマンにとっては毎日が帰宅の足を確保するのに戦争だった。
 現代韓国人の『酒文化』もこの時代に原型が作られたという説がある。たとえば酒のピッチが早く、何でもストレートというのがそうだ。時間が午前零時までと限られているため、早く飲んで早く酔っ払わなければならないからだ。
 ボクは「トングム時代」華やかなりし一九七〇年代初めにはじめて韓国に来て、韓国人たちの酒のピッチが早いことに驚いた。しかも二五度の焼酎や三五度以上のウイスキーをストレートでグイグイやる。焼酎でもウイスキーでも薄めてチビチビやる日本人は軽蔑の眼で見られたものだ。
 韓国名物の「爆弾酒」も実は「トングム時代」の産物という説がある。早く酔っ払うにはウイスキーとビールを混ぜた「爆弾酒」は最も効果的なのだ。
 「トングム時代」の酒文化はいわば「短期決戦」型だった。韓国人の性格を現す言葉としてよく「パリパリ」の話が出る。日本語では「早く早く」という意味だが、韓国人は何でも「パリパリ」だというのだ。当然、酒も激しく杯が行き交い「パリパリ」だった。
「トングム」がなくなってから四半世紀。韓国人の酒の飲み方もずいぶん変わった。もちろん日本人に比べるとまだピッチは早いし、ストレート好みだ。しかし激しい感じはなくなった。昔に比べるとずいぶんゆったりとなった。時間を気にせず飲めるのだから当然だろう。
 紳士風や年配者のなかには平気で水割りを飲む風景も見られるようになった。昔なら酒に水を入れて飲むなんて、男としてはかっこ悪くて絶対にやれなかったものだ。今や水割りが逆にかっこいいしゃれた風景にさえなりつつある。
 しかし「韓国オリエンタリズム」を楽しんできたボクらは、短期決戦で午前零時ストップの「トングム時代」が懐かしい。あれは実に健康によかった。パッと酔って大声でしゃべって歌って踊って発散しサッと家に帰った。今は長っ尻になり逆に疲れる。歳のせいでもありますが。
(くろだかつひろ:産経新聞ソウル支局長)

月刊 酒文化2006年01月号掲載