正月酒は“飲福”という

 韓国で「盆暮れ」といえば旧暦八月一五日の「秋夕(チュソク)」と旧暦一月一日の「ソル」だ。友人や知人、ビジネス関係などでは贈り物を交換し合う。いずれも数日間の休暇になっていて、各家庭では家族が集まりごちそうをいただく。
 ぼくもプレゼントをあげたりもらったりするが、いわばお中元やお歳暮だから男同士となると酒が多い。この季節には、日本大使館も日ごろお世話になっている韓国人たちにプレゼントとして酒を配る。その酒だが、これまではウイスキーの「シーバス」が多かった。理由を聞くと韓国人が好きな銘柄だからという。この銘柄が韓国人に人気だったのは、昔の朴大統領が好きだったからだ。
 しかし朴大統領の時代は一九七〇年代までのこと。韓国でも好みの銘柄は時代と共に変わる。先年、知り合いの韓国人が「日本大使館からシーバスをもらった」といって不満顔だった。今や韓国でもウイスキーは貴重品ではなくなり、それに「シーバス」など誰もありがたがらない。知り合いは「つまらないものをもらった……」といわんばかりだった。
 最近の韓国で人気のウイスキーは「バレンタイン」だ。したがって「盆暮れ」のプレゼントも、輸入ウイスキーなら「バレンタイン」に限るということになるが、知り合いに言わせると「日本大使館からのプレゼントなら日本製のサントリーの方がうれしい」と言っていた。
 その旨、日本大使館の担当者にアドバイスしておいたが、その後どうなっているやら。
 秋夕や正月に家族が集まると酒が出る。その際、田舎では濁酒の「マッコリ」、都市では焼酎やウイスキーがもっぱらだ。したがって「バレンタイン」や「サントリー」など話題としていいのだが、韓国の正月にはお屠蘇のような特別な酒というのはない。
 正月にあたる「ソル」には、各家庭でご先祖さまをまつる「チャレ(茶礼)」という儀式をやる。特別なお膳にいろいろな飲食物を載せてお供えし、家族一同順番で頭を下げる。その後、供えられたものを一同で分かち合っていただく。
 この「チャレサン(茶礼床)」には当然、酒も載っている。酒もまたお爺さんやお父さんが家族に分かち飲みさせる。この酒が意外に意外性がない。だいたいほとんどの家庭で「チョンジョン」なのだ。「チョンジョン」といえば漢字では「正宗」だから、日本酒を意味する。伝統的な家庭儀式になぜ日本酒なんだ。
 聞くと、昔はその家で醸した自家製の酒だったという。それが市販の日本酒になったのは、自家製が面倒なことと、日本統治時代以降、儀式にふさわしい高級感のある澄んだ酒ということで、手っ取り早く日本酒になったとか。
 「チャレ」での酒はお屠蘇と同じく少しだけでがぶ飲みはしない。ご先祖さまの前ではやはり酔っ払ってはいけないようだ。
 この「チャレ」の酒を「ウムボク(飲福)」という。なかなかしゃれたネーミングである。ご先祖さまのご加護の下、一杯いただいて幸せをもらおうというわけだ。どこでも儀式における飲食は、いわゆる「神人共食」である。神(先祖)と飲食を分かち合うことで幸福や健康を祈り、いただくのだ。
 今年のソル(旧正月)は一月二九日になっている。旧暦では忘年会はない。そしてもちろんソウルひとり暮らしに「チャレ」はない。ひとりでバレンタインでもがぶ飲みするか。
(くろだかつひろ:産経新聞ソウル支局長)

月刊 酒文化2006年03月号掲載