献杯の「情」は痛しかゆし

 韓国人は酒を飲む時にまず何と言って飲みはじめるか。その前に、韓国人から「日本では『トリアエズ』という銘柄のビールがいちばん人気がありますねえ」といわれ思わず笑ってしまった。なるほど、そういえばそうだ。
 日本人は酒を飲む時、「お酒、何にしましょうか?」といわれると決まって「とりあえずビール!」というではないか。「日本の人気ビールはトリアエズ・ビール!」│このネタは日韓双方で使わせてもらって結構、人気を博している。
 ところで日本人はなぜ「まずビール!」というのか? これはおそらく、まず乾杯したいからではないのか。まずビールでみんな一斉にガチーンとやりたいからではないのか。酒席における連帯、団結そして共同体意識の確認?
 韓国人には「とりあえずビール!」はないが乾杯はある。漢字の韓国語読みで「コンベ!」という。ビールより最初から焼酎やウイスキーでこれをやる。しかし日本人のように、まずみんなで一斉に杯を合わせてガチーンとかカチーンは多くない。
 しかも韓国人は飯を食った後にビールというのが一般的だから、まずビールでガチーンの風景はあまり見ない。ちなみに韓国のビアホールは九時以降に客が来る。
 ただ日本人と違って、韓国人は焼酎の小さなグラスで差し向かいや隣同士、途中で何回も杯を挙げて「コンベ!」をやる。中国式に近い。だからこれをやるときは必ず杯を飲み干さなければならない。文字通り「乾杯」なのだが、必ず杯を空けなければならないからきつい。
 韓国人の乾杯の掛け声は「コンベ!」のほか、年輩層は「ウィハヨ!」を好み、若い世代はよく「ファイティング!」といって気合いを入れている。後者の意味は分かるが前者は何のことか?「ウィ」とは漢字では「為」にあたる。つまり「ナニナニの為に!」というわけだが、実際にはナニナニは具体的に言わずに、ただ「為に!」とやるところが面白い。
 ぼくは長く「ウィハヨ!」で過ごしてきたのだが、近年、歳をとったので逆に「ファイティング!」をやっている。これをやると若くなった気分になるではないか。
 ところが「ウィハヨ!」「ファイティング!」はいいのだが、韓国ではそうして飲み干した杯が回ってくるのだ。いわゆる献杯である。韓国人はこれをやらないとお互い「情」がわかない。座が盛り上がると献杯、献杯となる。とくに歓迎会や祝賀の宴となると主人公には杯が集中する。そして杯を受けると必ず飲み干して返杯しなければならない。「チャー(さあー)」といって差し出し「チャー」といって差し返すのだ。
 断ると「情が無いヤツ」になってしまう。これを焼酎であろうがビールであろうがウイスキーであろうが、種類にかかわらず「チャー」とやる。客同士、そして店の主人、ホステスなどともこれだ。時には知らない男が「この前、テレビで見た日本の記者でしょう!」とかいって献杯してくる。断わるわけにはいかない。
 韓国の献杯文化は情にあふれているが、これまた日本人には相当きつい。当局は昔から「衛生上、問題がある」として献杯(韓国語では「杯を回す」というが)の廃止を呼びかけているものの一向になくなる気配はない。
 「情」に生きる韓国人にとって、献杯抜きの酒は気の抜けたビールと同じなのだ。
(くろだかつひろ:産経新聞ソウル支局長)

月刊 酒文化2005年10月号掲載