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変わりつつある山田錦を巡る環境
菊正宗酒造のように長い歴史を持つ村米制度を維持しているところや、菊姫酒造のように近年村米制度を始めたところがある一方、崩壊してしまったところもある。
東条町のケースでは、農協のライスセンターの完成が村米制度を突き崩した。
ライスセンターは、これまでそれぞれの農家がおこなっていた籾の乾燥から脱穀・出荷までを集中処理する。確かに、個々の農家がそれぞれに設備するのは無駄が多く、一カ所でまとめて処理するほうが効率的なのは確かだ。ただ、問題は籾を保管する貯留瓶の大きさである。
巨大な貯留瓶は、集落ごとの出荷を困難にし、結果的に村米制度の維持を不可能にした。もちろん、もともと特A地区のすべてが村米制度を採用しているわけではなく、全国から引く手あまたの米だから、農家が個別に出荷するという選択もある。東条町は、そうした方法を選びとったということだろう。
同じライスセンターでも、吉川町のものや、みのり農協が来年稼働させる施設は、小さな貯留瓶を数多く備えることで、村米制度に対応する設計となっている。
もうひとつの問題は、山田錦自体の需要が低迷していることだ。
確かに地酒ブーム以降、地方の蔵元の兵庫県産山田錦に対する需要は一気に高まった。だが、その結果格差金も急上昇し、いまや一般の食用米の倍近くにまでなっている。
この現象は、地方の蔵元より、灘の蔵元にとって大きな問題である。
なぜなら、ほとんどの地方の蔵元にとって兵庫県産山田錦の使用は、鑑評会用や蔵を代表する高級品用に限定されている。だが、灘の蔵元にとっては、兵庫県産山田錦はさほど特別の米ではなく、ごくあたり前に麹米として利用されてきた。
だからこそ、村米制度を利用して、大量の米を毎年購入してきたのだ。
そもそも日本酒自体の需要が減り続けているいま、より高級な製品で魅力を高める一方、コストダウンを図って一般需要を死守する必要性は高い。
だとすれば、このまま高値が続くと、灘の蔵元がコストダウンのため、山田錦の使用を手控えざるを得なくなる可能性も否定できないのである。そうなれば山田錦を支える現在の体制は大きく揺らぐ。

篤農家が支える品質
嘉納会のメンバーは、昭和39年に560戸あったが、平成8年445戸、平成12年395戸と徐々に減ってきた。
「後継者難で、田んぼを他人に預けている人もかなりいます。ただ先祖代々の土地ですから、手放す人は少ないですね。勤められるうちは兼業でやって、定年後に専業になるというケースもあります」(みのり農業協同組合柏木茂営農部長)
嘉納会の会員である柏木幹生氏は、そうした他家の田んぼも引き受け、現在は五町歩ほどの田で山田錦を栽培している。小学校の頃から米俵づくりを手伝っていたというから、山田錦づくりに関してはベテランだ。
そんな柏木氏だから、「山田錦は水管理など神経を使うことがたくさんあるが、うるち米は放っておいてもできる」という言葉にも説得力がある。米づくりに関してプライドを持っているから、その米からできあがった酒について、かなりシビアな目を持つのも当然だろう。
しかし、そんな柏木氏にして、いやそんな柏木氏だからこそ、現在の山田錦づくりに危機感を持っている。
「特A地区だからといって、自慢しとる時代じゃないですよ。
この地区でも圃場の基盤整備が進んでいますが、どうしても反あたりの収量と米の質は落ちる。表土を厚く残していても一年はいいが、その次の年はよくない。土をよくするためには手間暇がかかる。真剣に昔の土に戻す方法を考えないと、いい米はできません」
確かに圃場整備は、農作業の効率化に有効だ。そもそも山間の棚田が多いこの地区では特にその必要性は高い。整備を進めなければ米の作り手がいなくなる。
だが、どんなに丁寧に工事を進めても、やはり土の性質が変わるのは避けられない。また、一枚の田が大きくなるぶん畦が少なくなり、風通しがわるくなるというデメリットもある。
かつてこの地区の山間の棚田でできる米は、「吉川の泥米」と呼ばれた、脂ぎったような黄色く汚い米だったという。しかし、酒づくりにはその米が最適だった。ところが、圃場整備以降、米はきれいになってしまった。
もっとも、柏木氏は効率化を頭から否定しているわけではない。昭和40年代に導入された田植え機は、手植えの時より多くの収量をもたらしたし、五町歩もの田を抱える以上、従来の棚田では対応しきれないのもわかっている。
山田錦が好きだからこそ、そこから生まれる酒を大事にしていればこそ、より質の高い米を作りたい。そんな思いが、数々の否定的な言葉に込められているのだろう。
こうした篤農家がいたから、兵庫県の山田錦はこれまで、日本一の名声をほしいままにしてきたのだ。蔵元と栽培農家と、東播の風土の理想的なトライアングル。山田錦伝説を支えてきたのは、この三者の微妙かつ強固な関係だったのかもしれない。

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