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移りゆく市場と灘酒
山田錦の足跡をたどってきたいま、「天の時 地の利 人の和」という言葉を思い浮かべる人は少なくないだろう。東播の山田錦にはこの三つの条件が揃っていた。ゆえにこの酒米は、王者と呼ばれる地位を獲得できたのである。
ここで忘れてならないのは市場という視点だ。市場とはお金である。すばらしい酒米を作り、上質な酒を造っても、お金を出す顧客がいなければ仕組みは続かない。
市場を作ってきたのは紛れもなく「灘酒」である。江戸期以来銘酒の名をほしいままにしてきた、この第一級のブランドこそが市場を作り金を稼いできた。顧客は東播の山田錦にではなく、灘酒に金を払ってきた。
長く灘の酒造家にとって山田錦は特別な酒を造るための米ではなかった。一級酒を造るためのあたり前の米であった。が、市場は変わる。飲み手が安価な酒を求め、酒造技術の発達とグローバル化がそれに呼応する。そこでは高価な山田錦は必要とされない。

いま、問われる「人の和」
島村奈津『スローフードな人生!』にイタリアのバローロについての記述がある。1970年代には量産により評価を落とし誰も見向きもしないワインとなっていたバローロは、生産者たちの熱心な活動によって再び高く評価されるようになったという過去をもつ。
復活をリードした生産者のひとりがエリオ・アルターレ。若い頃にブルゴーニュを尋ねて感銘を受け、良質の葡萄栽培とワインづくりに仲間とともに情熱を傾けてきた。彼は島村のインタビューのなかで次のように言う。「ワインの産地が育ってゆくためには、まず、市場を育てることが大切なんだ。そのためには10年は覚悟しなければならない」
東播の山田錦にもっとも必要なものは、それが必要とされる市場である。ワインと異なり原材料の生産者と醸造者がはっきりと分かれる清酒では、両者の連携が欠かせない。いまあらためて人の和が問われているのである。

いまの酒はベストか
東播という山田錦の名産地は酒米栽培に適した風土を持つ。自然条件、技術蓄積、意欲的な栽培農家の存在は代替できないものだ。
しかし、山田錦は代替可能である。東播が山田錦ではなく酒米栽培の適地であるならば、それを絶対視することは危険だ。遺伝子工学の進歩で、品種改良技術は猛スピードで変わっている。酒造と米質の因果関係の解明が進めば、ハイパー山田錦や、まったく別のスーパー酒米が登場する可能性は小さくない。過去を振り返っても酒米品種の盛衰は繰り返されてきた。
山田錦から造られた酒に、飲み手は本当に満足しているのだろうか。造り手は自分の造りたい酒が実現したと思っているのだろうか。酒米農家は、米の力が十分に引き出されていると評価しているのだろうか。
もし、これらの問いかけにひとつでも「NO」があるならば、日本一の酒米産地として、銘醸蔵として、まだまだやることが残されている。うまさを求める飲み手に精一杯応えていくことが、新しい市場を創ることになる。
そうでなければ、東播の山田錦には確固たる存在意義はなく、魅力的な未来は展望できない。

月刊酒文化(2002年2月号)

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