日本酒の産地呼称

ここ数年、日本酒業界でも地方色を押し出すような動きが見られる。ある一定の決まりをつくって瓶にシールを貼り、その土地ならではの酒をアピールして他者との差別化を図ることに地方、県、そして税務署なども興味を示している。
 僕もまた、本や記事を書く際には地方の特色を題材にすることが多い。日本酒を大まかにとらえるにはそれがとても有効で実質にかなっていると思うからだ。またそうすることによってワイン界の人々の興味を引きやすいということもある。しかし、このアプローチの方法にはやはり限界があることも事実なのだ。
 ワインは地方やぶどうの種類などによって定義されることが当たり前ということだけでなく、ほとんどの場合はっきりと法律で規制されている。そしてそんな法律や決まりごとは、気合をいれてワインの知識を深めようと思う人々が勉強する重要なポイントだ。だからワイン界の人々が日本酒にも同じようなアプローチを仕掛けるのはごく自然なことなのかもしれない。
 もちろん、日本酒にも地方色はある。日本酒の香味は土や天候、それに特産の食べ物や、米、また水の性質に深く結びついている。だが、それを決まりごとにしてしまうには少々無理があるのではないだろうか。日本酒の特質が誤解されてしまう恐れがあるからだ。ワインのルールで日本酒を測ったら、その特徴やユニークさ、大げさにいえば日本酒のアイデンティティーが失われてしまう危険がでてくる。
 この背景には当然、原料の性質がかかわってくる。ぶどうは腐りやすく、収穫された直後に使わなくてはならず、質を保ちながら遠くへ輸送することがむずかしい。それから様々な土地でよく育つ、もしくは育たないぶどうがある。だからワインが地方やぶどうの種類で定義されてきたのは当然のことだった。
 日本酒は違う。米は収穫された後も数ヶ月は倉庫で寝かせることができる。必要ならば国中どこへでも輸送できる。だから日本酒では定義づけが、米がとれた地方ということでなく、例えば精米歩合などによって行われてきたのもうなずける。
 そうは言っても前述したように、地方ごとに香味に特色があるのも事実。交通手段が限られていた昔はもっと違いが顕著だっただろうが、今でも特色はあり、とても大切な日本酒文化の一側面だ。それは保たれるべきことであり、また日本酒を理解しはじめた他の国々へも伝えていく価値があることなのだ。
 そう信じて僕は海外の人々にむかって日本酒を語る時、酒造りで知られる地方をとりあげ、特徴を伝え、どうしてそうなるのかということも言うようにしている。地方ごとに香味が異なり、それはある意味ワインでいう「テロワール」であること。そして違いはA酒の体験を重ねることによって理解できるようになると伝えるのはとても大切なことだ。
 日本酒の地方の特徴はほどほどに伝えるのがベストだ。デリケートなバランスを保って、話題のひとつとしてとりあげるくらいが今のところちょうどいいと思う。日本酒が海外へ渡るようになり、ワインのようにとりあげられる機会も増えてきており、それはそれで素晴らしいことだ。
 欲を言えば、僕は世界には日本酒がどれだけユニークな存在であるかをわかってもらいたい。とっかかりはワインとの比較でもいい。でも他に類を見ない日本酒の世界というものを真に理解してもらいたいのだ。
(ジョン・ゴントナー:日本酒ジャーナリスト)

月刊 酒文化2006年02月号掲載