ブルターニュ地方の迷い酒

 ここ二〇年来、夏のバカンスはブルターニュ地方南部、モルビハン湾にあるイル・オウ・モワンヌで過ごすことになっている。この地域で何度も小耳にはさんだ、しかし、いまだかって味わうことができなかった酒がある。
 シードルにジルグレ(学名はdatura stramonium、日本語ではシロバナチョウセンアサガオ?)という植物の種を入れたものだ。アルカロイドを含んでいるので、長い間、摂取するのは禁じられていて、当然ながら、売っているわけではない。近くの農家の人々に聞いても、はぐらかされてしまう。それなのに友人たちは、「ジルグレ飲んだあの夜、おかしかったなー!」と、楽しそうに回想するので、ますます興味深々になってしまった。
 まず、ひとつ確かなのは、男性だけの飲み物だということだ。では、女性はなにも知らないかというと、そういうわけではない。女性ゆえに疎外されたという怨恨もあってか、重要な秘密をばらす楽しみでワクワクしながら、しかし声を低めて「夫ったら、ジルグレ入りシードルを飲んで、家に帰って来れなくなったのよ。朝になってから、自分の畑で泣きながら迷っているのが見つかったの」などと打ち明けてくれる。
 ワインが全国で飲まれるようになる三〇年代まで、ブルターニュでは、シードルか、アランビック(ノルマンディーではカルヴァドス)を飲むのを習慣としていた。後者はどちらかというと家族や友人とのテーブルで、食事の際に飲む酒だ。刈り入れなど大規模な畑仕事のあと、納屋で仕事仲間と、あるいは領主が小作人を集めて飲む酒といったらシードルだ。女性は自然と排除されてしまう。
 こういう場では、五、六人の男たちが、たったひとつのグラスでシードルを回し飲む。一瞬とはいえど、地主と小作人の階級の差が消滅する貴重な時だ。そして、ではこれでお開きに、という雰囲気になると、「もらいものだけど」、「たまたま見つけたんだけど」という言い訳と供に、納屋の奥からもう一本別の瓶が登場することがある。これが、ジルグレ入りのシードルである。奢る側は何も言わない。奢られる側も野暮な質問はしない。無言のうちに味わい、目線だけが交わされるミステリアスな瞬間だ。
 アルカロイドを含んでいるが、幻覚状態に陥ることはないといわれている。ただ、「迷う」のだ。四つ角で、自分の家に帰る道がこれだということはわかるのだが、そちらに進めない。このあぜ道を横切れば、自分の家ということもわかるのだが、超えられない。家の前まで来ても、敷居をまたぐことができないという困った症状が出るそうだ。
 ブルターニュでは六三%の土地が農地であるが、農業が工業化した今、このような習慣がどれほど残っているかは疑問だ。危険なハードドラッグが安価で出回っている今日、シロバナチョウセンアサガオくらいで目くじらを立てる警官もおらず、禁じられたものを飲む楽しみもなくなってしまった。
 しかし今でも、日暮れ時に農家を訪ねると、納屋から人々の声が聞こえてきているのに、「ボンジュール」と声をかけると、突然シーンとしてしまうことがある。ジルグレ入りのシードルでも飲んでいたのかな?と、女性の私は諦めて立ち去る。
(なつき・パリ在住)

月刊 酒文化2011年09月号掲載