世界でもっとも偽造された酒

 昨年500歳を迎えたリキュール、ベネディクティンの原型は、ノルマンディー地方の街、フェカンで1510年に生まれた。祈祷、手仕事、研究に専心するベネディクト派修道院の僧侶、ベルナルド・ヴィンチェリ(Bernardo・VINCELLI)が錬金術の研究の過程で、意図せずに、たまたま発明した長寿秘薬である。もちろん、ノルマンディーの海沿いの断崖でアンゼリカ、ヤナギハッカ、セイヨウヤマハッカなどの薬草が豊富に採れること、ベネチアの港生まれのヴィンチェリが、東方からの船に積まれていた香辛料の香りに幼少の頃から馴染んでいたことも無関係ではないだろう。時の王、フランソワ一世も愛飲していたということだが、1789年のフランス革命以来、修道院は解散を余儀なくされ、それとともにベネディクティンの製造も途絶えた。
 350年後の1863年、ワインの仲買人アレクサンドル・ル・グラン(Alexandre・Le・Grand)が、遺産として譲り受けた古書の中で、この秘薬の製法200ページを見つけた。数年にわたる試行錯誤の末、「ベネディクティン D.O.M」という名で発売した。D.O.Mはラテン語で「志高志善なる神」という意味のDeo Optimo Maximoの略でもあるが、ドン・ペリニョン(Dom Perignon)と同じく、修道僧の称号でもある。
 27種類の薬草、東方の香辛料からなるリキュールで、原料の原産地を辿ればギリシャ、アフリカ、インドネシア、インドと世界一周できるほどバラエティーに富んでいる。
 アンゼリカ、ヤナギハッカ、セイヨウネズ、ミルラ、アロエ、アルニカ、コリアンドル、モミ、セイヨウヤマハッカ、茶、タイム、丁字、レモン、バニラ、オレンジ、カネル、などの原料が4つのグループに分けられ、ひとつはアルコールと水に15時間浸しておく。残りの3グループは3ヶ月間、水に浸漬し,その後、ポットスチルで蒸溜する。それを3ヶ月間貯蔵庫で熟成してからブレンド、オーク樽でさらに8ヶ月熟成という工程だ。この原酒にキャラメル、サフラン、蜂蜜を加えるとベネディクティン独特の琥珀色になる。ベネディクティンB&Bはもとはニューヨークで考案されたカクテル。コニャックを加え55度で2回加熱し、再度オーク樽で4ヶ月熟成後、濾過する。全工程に約2年かかる。
 この酒は、世界でもっとも偽造された酒では?と思われるほどの人気ぶりで、見学することができる蒸溜所・美術館、ル・パレ・ベネディクティン(Le Palais Bénédictine)では、偽物ベネディクティンの展示室まである。開口部に鉛の封印、瓶の中央に赤蠟でも封印と偽造に抵抗すべくさまざまな努力をしたにもかかわらず、約600種類の偽物があるということだ。
 また、創始者アレクサンドル・ル・グランは、新しいマーケティングを開発した功績でも知られており、宣伝に膨大な費用を注ぎこんだ最初の実業家のひとりだ。有名なアーチストにデザインを依頼したポスター、絵はがき、扇子、マッチ入れ、灰皿、なんとクリスタルガラスでできたインク入れまで製造し、キャフェやレストランに置いてもらった。
 次に、芸術を庇護するメセナとして名を広めることもマーケティングのひとつと考え、中世の美術品から同時代のアーチストの作品を収集。1888年にネオ・ゴチック様式の、一見、宮殿に見まちがえるような蒸溜所・美術館ル・パレ・ベネディクティン(Le Palais Bénédictine)を建設した。もちろん、見学者が訪れることも計算に入れ、商品にまつわる歴史や工程をアピールする場として利用した。
 ルグラン氏が儲け主義一辺倒の人かというと、決してそうではない。当時は、サン・シモンやフーリエの説く社会主義が一世を風靡した時代でもあり、まだ珍しかった、社員の教育や年金制度にも力を入れるような人間的な経営をした人でもあることを忘れてはならない。(なつき:パリ在住)

月刊 酒文化2011年08月号掲載