ポワトゥー地域の自家製酒

 フランス西部にあるポワチエ付近に住んでいる友人に久し振りに会った。八世紀、フランス国の母体となるフランク王国軍が北上してきたアラブ軍に勝利した「ポワチエの戦い」で知られている象徴的な土地である。この戦いで敗北していたら、スペインのように約七世紀にわたるイスラム支配を受け、フランスの歴史はずいぶん違ったものになったかもしれない。
 「ポワトゥー地域でいちばんポピュラーな酒ってなに?」と聞くと、野生のブドウ、ノア種で作るピケットpiquette(自家製ワインのこと)か、プス・デピンヌpousse d'épineかな? ということだった。
 ノア種は日本ではあまり知られていないが、アルマニヤックの原料として知られているバコ・ブランがフォル・ブランシュとノアをかけあわせてできた交雑種である。ノア種は、一九三五年から二〇〇三年まで栽培が禁止されていた。
 ノア種が生まれたのは一九世紀のことだ。一八四〇年、葉や茎がうどんこをかけたようになる「うどんこ病」が流行ってヨーロッパ産ブドウが全滅した。そこで、研究者たちは北アメリカ産のブドウとヨーロッパ産を掛け合わせて、「ノア」、「クリントン」、「エルブモン」、「イザベル」、「オテロ」といった耐久性の強い五つの混種を作った。
 一八七三年にはアメリカから輸入されたブドウに付いていたフィロキセラという害虫がヨーロッパで繁殖し、ヨーロッパ産ブドウを再び全滅させた。この際もノア種をはじめとした五種が生き延びた。
 しかし一九三四年、ブドウの生産過剰が問題となったことからノアの衰退が始まる。兵隊の配給ワインがこれまで二分の一リットルであったところを、一リットルに増やそうという意見も出たほど、ワインが売れ残っていた。九五〇〇万ヘクトリットルが生産され、二〇〇〇万ヘクトリットルが売れ残る予想だった。
 今では、この時代のワインの過剰生産は、公定価格とフランス領だったアルジェリア人労働者の最低賃金限度の不在を要因としていたと考えられている。しかし、国会はノア種など五つの混種の栽培を禁止した。「量より高品質をめざそう」というふれこみで、禁止令に従う農民には奨励金が与えられた。だがほんとうは、耐久性が強く、手入れも簡単で、素人でもワインを容易に作ることができる混種を禁じて、酒税を増やすことが狙いだったのではないだろうか?
 こんな歴史を背景として、ノア種は禁止令が廃止された現在でも、ほとんど栽培されていない。アルデッシュ、セヴェンヌ、ヴァンデといった地方で一五〇〇ha栽培されているのみである。しかし、野生で育っているものを摘んで自家製ワインを醸造する人が多いのだという。
 プス・デピンヌPousse d'épineのほうは、野生りんぼくの新芽を春に摘んで、各家庭で作り方が違うポピュラーなものだ。四ℓの赤ワインかロゼ、一ℓのオー・ド・ヴィ、四〇〇gの野生りんぼくの芽、八〇〇gの砂糖を混ぜ合わせて二、三日置く。そのあと、濾してビンに詰めるという簡単なアペリチフだが、アーモンドのような新鮮な味がおいしいということだ。ワインを熱してから、あるいは冷たいままと作り方はいろいろだが、数ヶ月はおいしく飲むことができるという。
 フランスの地方では、野生の果物や植物を使っておいしいものを家庭で作る習慣がまた生きていることにほっとさせられた。(なつき・パリ在住)

月刊 酒文化2012年06月号掲載