パリで大流行のカイピリーニャ

 最近、ブラジル生まれのカクテル、カイピリーニャが流行っていると聞いた。パリのオーベルカンフ近くにできたファヴェラ・シックfavela Chicというバーが火付け役らしい。
 ブラジルを象徴する飲み物カイピリーニャは、サトウキビの絞り汁を発酵させてできたアルコール、カシャッサcachasaをベースにしている。家族経営規模の醸造所から工場生産まであり、ウォッカ、焼酎に次いで世界でもっとも消費されている蒸溜酒のひとつである。アルコール度が七〇度近くに達するものもある。
 カシャッサの発祥は、サトウキビ畑で働いていた奴隷たちが、サトウキビジュースの残りを煮て、カシャッサ、果物の搾りかす、香辛料を加えて飲んでいたことに由来するという。また、一八世紀末に起きたブラジルの独立運動の際には「独立の乾杯はポルトガルワインではなくカシャッサを!」というスローガンが民衆の心をつかんだ。社会の上層を占める人々は宗主国ポルトガルから輸入されるワインを好み、カシャッサは奴隷の末裔や労働者たちの飲み物として蔑まれていたということなのだろう。
 ところが二〇世紀初頭、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国が疲弊し、ブラジルのブラジル化が計られるようになる。政治面だけではなく、文化面でもヨーロッパの模範から脱却することが模索されるようになると、ブラジルならではの伝承がもちあげられるようになった。そして、カシャッサもブラジルのアイデンティティーを象徴する酒として一目置かれるようになった。日本の焼酎ブームと似ているかもしれない。
 フランスにカイピリーニャが初めて紹介されたのは、このようなブラジルのモダニスム運動の一環としてのことだった。二〇世紀初頭、世界中のアーチストたちが集中していたパリに滞在した作家オズワルド・デ・アンドラーデOswald de Andrade、画家タルシラ・ド・アマラルTarsila do Amaralが文化人を招き、フェジョアーダ(農場主が食べ残した豚の内蔵、耳、足などの部分を、豆と一緒に煮込んだ料理で、奴隷の考案したレシピ)とカイピリーニャでパーティを開くようになってからのことである。
 しかし、カシャッサがフランスに正式輸入されるようになったのは遅い。欧州連合以前は、フランス政府が自国の海外県であるアンティール諸島のラム酒を保護していたため、カシャッサのみならず、キューバ産ラム酒も輸入許可がおりなかったためである。輸入が自由化された一九八九年、Giffard社が輸入した五千本の「Thonquino」のうち約半分を高級食料品店フォーションが買い取り、今では年間一五万本が輸入され、モノプリのような普通のスーパーマーケットでも店頭に並んでいる。メトロ内の巨大広告で宣伝されているマルチニMartini、ペルノ=リカールPernod-Ricardのような大会社が扱っているバカルディBaccardi、ハヴァナ・クラブHavana Clubといったラム酒をベースとしたモヒートと量的に競争することは無理かもしれない。しかし、テキーラをベースにしたマルガリータと比肩することができるくらいの人気になっているそうだ。
 最近は、Sagatibaサガティバというカシャッサの高級品もフランス市場に出回り、ホテル・コストCostes、ジョルジュ・サンクGeorgesVといった一流ホテルのバー・メニューにも載るようになったということだ。(なつき・パリ在住)

月刊 酒文化2011年12月号掲載