ジュヴレ・シャンベルタン城売却とその顛末

 ブルゴーニュ地方にとって、2012年は、ジュヴレ・シャンベルタン城とその2haのブドウ畑の売却でおおいに揺れた年であった。
 12世紀に発端を起し、1993年から歴史記念建造物に指定されている城は、クリュニー修道院の僧によって城塞として建設された。そしてその畑で醸造されるワインはナポレオンのお気に入りで、ロシア遠征に際してもわざわざ運ばせたという逸話も残っているほどだ。
 1858年以来フランス人であるマッソン一家の所有であり、年に約1万本のワインを生産していた。だが近年は老婦人が娘と2人だけで畑の手入れをしており、ワインの価値としてはたいしたものではなく、城を訪れる観光客がおみやげに購入するという程度のものだったらしい。しかし、老婦人の死後、相続者の人数は9人。集合財産であることから維持が難しくなり、売却が決まる。問題になったのは買い取ったのがマカオでカジノを経営する中国人の億万長者ルイ・ング氏であるということ。800万ユーロという膨大な値で落札されたことから、3100人の村人だけではなく、国内新聞やメディアを騒然とさせた。
 ジュヴレ・シャンベルタン村のブドウ栽培者組合の会長ジャン・ミッシェル・ギヨン氏によると、当初は350万ユーロと見積もられ、フランス人の有志で400万ユーロで買い取り、城は観光案内所とパーティー会場にする計画があったそうだ。しかし、マッソン一家は700万ユーロを要求、結局、800万ユーロで入札したルイ・ング氏が購入することになった。ギヨン氏は「ここまでブドウ畑の値がつり上げられると、今後、土地が若い世代の栽培者の手に残る可能性が少なくなる」と嘆き、外国人による投資の増加に対して警戒をうながしている。
 しかし、ブドウ畑の値段がうなぎのぼりの今、外国資本を避けて通ることはできない。ブドウ畑やシャトーの売買を専門とする不動産会社le réseauVinéaによると、20年前と比べて、ブドウ畑の売買件数は2倍に、1haあたりの値段は3倍にはねあがった。フランス人の投資は全体の60%過ぎず、最近はヴォスネ・ロマネの1haが中国人に、ジュヴレ・シャンベルタンのドメーヌ・モームがカナダ人に買い取られたばかりである。ボルドーではすでに中国人所有のブドウ畑があるが、200万から500万ユーロ程度、それでもステータスの高いアペラシオンのものではなかった。
 当然、「フランスの宝は外国人に渡すな!」と極右翼政党も介入し始めた。だがこのルイ・ング氏が、実はかなりのワイン通でフランス文化を知り尽くしていることが知られ始めるようになってから、批判の風向きが変わった。先月のル・モンド・マガジンでは、「ジュヴレ・シャンベルタン城を買ったのは単なる投資ではなく、純粋に一目惚れしたからです」と述べるング氏に関する好意的な記事が発表されていた。彼は約25万本のワインをコレクションしており、そのうち600本は権威あるミレジメ、シャトー・パルメール1961年。2005年にはコルク栓が劣化していることに気付き、フランスからマカオにシャトー・パルメールのスタッフを呼んで、一本ずつ栓を交換させたという。また、なにかと富裕層を目の敵にする傾向があるフランス人気質を気遣ってか、「800万ユーロって言っても、マカオではベランダ付きの2部屋アパートの値段です。私はそんなにお金持ちではありません」と謙遜するのも忘れていない。
 経営に関しては、25年という長期の契約でジュヴレ・シャンベルタン村では隣人にあたるドメーヌ・アルマン・ルソーのエリック・ルソー氏に畑を、城の修復は歴史建造物の修復専門家として名高いクリスチャン・ラポルト氏に任したことから、「黄禍」を叫んでいた口さがないブルゴーニュ人たちもおとなしくなった。要は「私たちの培ってきた文化を尊重して欲しい」ということだけだったのかもしれない。畑を良好な状態に戻すに必要な5年間後が期待されている。
(ぷらどなつき・パリ在住)
2013年春号掲載

月刊 酒文化2013年07月号掲載