愛しのバローロワイン

 イタリアのワイン銘醸地バローロ村やバルバレスコ村のある、ピエモンテ州南部のランゲ、ロエロ、モンフェラート地域の美しいブドウ畑と景観が、昨夏、ユネスコの世界遺産に登録された。イタリアでワイン産地が世界遺産に登録されるのは初めてで、世界でも数少ない。イタリアのワイン好きが胸を躍らせたニュースである。
 この地区では少なくとも三〇〇〇年前にはワイン生産が始まっていたが、最高レベルのワイン産地になる動きが出るのは一八世紀のことだ。フランス人のワイン醸造専門家が彼らの経験を持ち込み、ピエモンテのまだレベルの高くなかったワイン生産者に伝えたことに始まる。そしてバローロは瞬く間に「ワインの王様、王様のワイン」という称号を獲得する。一九世紀にはイタリア統一後の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世の息子が、相続した狩猟地を切り開いて、銘酒を生むネッビオーロ種を植え始めたと伝えられ、この世紀の中ごろには、糖が残りがちで不安定なワインから、重厚で深みのある辛口ワインへと変化した。
 バローロ村のあるランゲ地方には毎年足を運んでいる。毎回、知らないワインメーカーのお話を聞き、ワインを朝から深夜まで試飲するのは心躍る時間だ。みな「畑やセラーでの日々の仕事は、ブドウやワインを近くで見守ることが何より大切」だと言う。
 先日、「バローロ・ボーイズ」というDVDをもらった。紆余曲折あって、銘酒の誉れ高かったバローロのワインが評価を下げていた一九七〇年代の辛い事情をワイン生産者の口から語ってもらう、ワインドキュメンタリー映画である。当時は今とは違い、農民たちは仲買人を通じてブドウを売っており、質の良いネッビオーロ種を安値で売り払わざるを得なかった。今では安価なバルベーラ種やドルチェット種のほうが高値で売れたというのは想像もできない話だ。理由はタンニンが強いネッビオーロ種のワインが、飲みごろになるまでに時間がかかるからだったという。
 そんな中、数人の地元若手生産者達が一念発起して醸造法を近代化させ、自分たちで瓶詰めして売ろうと決意する。俗にいうピエモンテの革命である。それまでの伝統的な製法からつくられたバローロは、タンニンや酸味が強い長期熟成向きの重たいワイン。ところが彼らは果汁と果皮のコンタクトを減らし、樽で熟成させ、比較的若い時期から飲むことができるようにした。この革新的なワインづくりがバローロの名を再び世界に轟かせた。
 二五〇〇から五〇〇〇リットルの伝統的な巨大な大樽を用いて長期熟成をさせた、凝縮味のある濃い香りのバローロ伝統のスタイルから、飲みやすいスマートなバローロへの転換。両者は激しく衝突し、さまざまなドラマが繰り広げられた。息子のやり方に納得できない父親が遺産権利を奪うことまであったという。
 それでも伝統派かモダン派かと自分の意見を言い合っていたのもひと昔前までのこと。いまでは両方のスタイルが存在し、ピエモンテの歴史の一部となった。ランゲ地区のワインメーカー全員に共通するのは、ブドウに日々の畑での世話が欠かせない姿勢とランゲの土地へ情熱と尊敬の念である。どのスタイルのバローロも、これからも世界中の人々を次々と恋に落とし続け、イタリアワインの最高峰として君臨し続けるに違いない。
(しえいららしっどぎる・ローマ在住)
2015年特別号上 掲載

月刊 酒文化2015年10月号掲載