変わるもの、変わらないもの

 ルーマニア北部、山々が重なりあい美しい自然の広がるマラムレシュ地方、ウクライナと国境を接する北部の山間には、おとぎ話に出てきそうな、昔ながらのたたずまいの村々が今でも点在している。
 民主化以降、多くのルーマニア人は、より賃金の高い近隣諸国へと出稼ぎに出るようになった。イースターやクリスマスなどの祝日前後は、帰省するルーマニア人の持ち込む外貨で、為替が変動すると言われていたほどだ。二〇〇七年のEU加盟以降、さらに多くのルーマニア人が故郷の町や村を離れた。マラムレシュ地方でも同様に、働き盛りの世代は男女を問わず、出稼ぎに出た経験がある、数年間働けば故郷の村に立派な家が建つのだ。両親が出稼ぎに出ている間、子どもたちは祖父母に育てられていた。そして、九〇年代後半には、木造建築で有名なマラムレシュ地方の村に、石造りのモダンな家が建ち始めていた。
 一度、村に住む、知り合いの新築の家に招待された事がある。壁のペンキも塗りたてのピカピカの部屋、モダンなキッチン、そして水洗式のトイレまで案内してくれる。家主が満足そうな表情でトイレの水を流して見せてくれたが、彼らの住む通りまで、当時まだ下水が整備されていなかったので、実際は使用できずに、庭の端っこにある汲取式のトイレ小屋が現役で使用されていた。
 去年、久しぶりに訪ねた友人の家では水洗トイレも使用でき、数年前までは家畜小屋の隣の汲取式トイレ小屋だったのが嘘のようだった。
 それでも、村人は畑を耕し、干し草を集め、家畜の世話をする、飼っている牛の乳からサワークリームやチーズを作るのは変わらない。豚はまるまる太らせて、ハレの日のごちそうになる、ニワトリは庭や通りを自由に歩いている。そして、村人は日曜日には民族衣装で正装して教会に向かう。朝起きると、朝食を準備してくれる友人が、まず最初にすすめてくるのはツイカ(果物の蒸溜酒)。これも同じだ。この辺りではホリンカとも呼ばれている、アルコール度は五〇度を超える自家蒸溜酒だ。無色透明のホリンカをショットグラスに注いで、お互いの健康を祈って乾杯、そして一気に飲み干す。
 ある日、村から一番近い町に出て市場に行った。EU加盟で影響があったのでは思っていたが、そんな予想は外れてペットボトルに入った自家蒸溜のホリンカが無造作に並べられ売られていた。次の日に行った隣村の青空市でもホリンカは売られている。別の村に友人や知り合いを訪ねても、必ず自家製のホリンカが出てくる。EUに加盟して影響はなかったのかと聞くと「チャウシェスクの時代と同じだよ、規制されれば裏で作ればいいし、警察が来たら一瓶手渡してサヨナラさ」と笑って答える、実際のところ、どの程度規制されているのか、結局は分からなかった。そして、どこに行っても、自家製のホリンカが出てきた、まず一杯とすすめられ、飲み干すたびに、そう簡単にはこの習慣は変わらないだろうと強く思った。(すずきふみえ・ブダペスト在住)

月刊 酒文化2012年03月号掲載