インドでの生活は、様々な試練(?)との戦いです。
日本との気候の差もさることながら、それを埋めるべく、冷暖房器具を使おうにも、肝心要の電気が停電で使えなかったり、インターネットなどのケーブルを猿に噛み切られ、復旧に一週間近くかかったり、数えあげたら、きりがありません。
その中でも、「勘弁して欲しい」と思うのは、昼夜を問わず、大音量で音楽を流すこと。
道を歩いている時に、フル・ボリュームで音楽を流している車が後ろからやって来た時や、お祈り時間に、お寺の脇を通る時などは、思わず両手で耳を塞ぎたくなる程の大きな音量の音楽が流れます。
家に帰っても、気が安らむ時がありません。隣近所のテレビの音が筒抜けなのは当たり前、テレビの音量に負けじと、しゃべる怒鳴り声のような声のコラボレーション。最大音量で音を流しているせいか、ステレオから伝わってくる重低音のドン・ドンという振動が、階下にある部屋まで伝わり、窓枠がガタガタと揺れだすおまけつきです。
さすがに、あまりにも、ひどい時はボリュームを下げてもらうようにお願いに行きますが、「また来たか」との迷惑顔です。
普段でも、それ程の音量で音楽を流しているのに、彼らの多くは、これまた、パーティ好きと来ていて、やれ誕生日だ、何かの記念日だ、宗教のお祭りだと、きっかけを見つけては、ホームパーティを開きます。その度に、我が家では、聞きたくもない大音量の音楽に悩まされなければなりません。
こんな日はコンプレインをしても無駄。彼らは「パーティ」という免罪符を掲げ、音量を下げようとはしてくれません。
先日、知人の誕生日パーティに招かれ、彼らが、どうして音楽を大音量で流すかという謎が、やっと解明できました。
「歌って、踊る」映画を作る国として有名なインド。銘々にプレゼントを抱え会場のお宅にお邪魔すると、老いも若きも、はたまた小さな子どもまでも、音楽に合わせ、頬を赤く染め、手を振り上げ、楽しそうに踊っているではありませんか。
普段は、知人宅にお邪魔すると、まず出されるのが、一杯のお水。これを飲み干すのが礼儀とされていますが、この日ばかりは、大人には有無を言わせずにワインかビール。駆けつけ三杯ではないけれど、水と同様に飲み干すのが礼儀だとか、礼儀ではないとか。テーブルには、色とりどりのお料理やサモサなどのスナックが並び、人々は談笑しながら、お料理を摘んだり、踊ったり楽しんでいました。
踊りに参加する前は、隣にいる知人との会話も、ままならない程の音楽に、何度も帰ろうとさえ思いましたが、これが不思議。お酒の入ったグラスを片手に、見よう見まねで踊り始めると、耳をつんざくような大音量が気になるどころか、もっと大きな音で音楽を聞きたい気分に。アルコールで羞恥心もぶっとび、体が火照り、気分が高揚。確かにこれは癖になりそうです。
阿波踊りの歌「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」ではないけれど、今度から近所でパーティがある時は、部屋の中で悶々と耳を塞いでいるよりは、ワインかシャンペンでも片手に、飛び込みで参加をしてみようかと、新たな楽しみが増えました。
(いけだみえ:フォトグラファー・ライター、ニューデリー在住)