DIYでお酒もつくるイギリス人

 イギリス人男性はDIY好き。週末には庭の奥に建つ「シェッド(物置)」で、棚にする木材を切ったり、蚤の市で見つけた古い真鍮のドアノブを何時間もかけて磨いていたりする。物置とは言え小さくても二畳くらい、中には小屋ほどの広さのものもあり、窓も電気もついていることが多い。シェッドは既婚男性の隠れ家、あるいは聖域とも言われ、仕事以外の時間のほとんどをこの物置で過ごす人は「シェディスト」と呼ばれることも。
 さて、工具や廃材などが所狭しと置かれた中に、ガラスやプラスチック製のタンクが隠れていたら、ここの家の主は自宅でお酒を造っているのだ。DIY醸造は、シェディストに人気の高いホビーだ。自家醸造はこの国では違法ではない。蒸溜には免許が必要だし、出来上がった酒を売るとなると国税局に登録しなくてはならないが、お金を取らずに家族や友達に振る舞う分にはまったくお咎めなしだ。醸造する量にもアルコール度にも規制がない。
 DIYでビールやエール、ワイン、リンゴ酒などの醸造を始めるのはとても簡単だ。薬局や大きなスーパーで売っている、ホームブルーイング・キットを買って来るだけ。ビールなら、ヤングやフラーズなど有名なエール醸造所のキットもあれば、オンライン・ショップでもさまざまなキットが発売されている。あとは、説明書に従い箱の中に入っているモルト液、ホップ、イーストなどの材料と水とをタンクに混ぜ合わせ、数週間待てばいい。容器を洗って消毒したり、発酵温度をチェックしたりするのはかなり面倒に思えるが、その化学実験的なプロセスがとにかく楽しい、と語る男性は多い。
 キットを使ってできたエールは、誰がやってもまあまあ飲める味には仕上がり、初心者はとにかく「自分の手で酒を造った!」という事だけで充分感激する。そこからさらに味と質を求めてのめりこむ人は、ワイン派よりもビール派に多いそうだ。お手軽なキットを卒業すると、その次の段階は「ハーフ・マッシュ」と呼ばれ、あちらの乾燥ホップ、こちらのモルトと自分なりの調合を始めることを指す。そして、発酵しすぎたタンクがたまに爆発してもまだ懲りない人は、さらに自ら穀物を加工して麦汁を精製する「フル・マッシュ」を目指す。ここまでくると趣味の域を逸脱する間際だ。マイクロ・ブルワリーのオーナーの間では、クリスマスプレゼントにもらったビール造りキットからすべてが始まった、などという話がよく聞かれるそうだ。
 DIY醸造は、不況が来るたびにちょっとしたブームを迎える。パブで一パイントのエールを頼めば二・八〇ポンドから四・五〇ポンド(三〇〇〜六〇〇円)かかる。スーパーで買える一番安いラガーなら一〇〇円だが、アルコール度は二・二%で化学薬品のカクテルのような味だ。自分で造って飲むのなら、材料費だけを見れば一杯たったの二四円で晩酌が楽しめることになる。大手スーパーのテスコでは、〇七年の金融危機以来、キットの売れ行きが毎年四割近く増え続けていると発表した。
 経済的なメリットにも魅せられて、新たにDIY醸造を試みる人はこのように多いのだが、本当の趣味に発展する人はほんの一握りらしい。いかに今回のブームが盛り上がっているように見えても「この調子では、いつか誰もお酒を買わなくなるのでは?」という声は酒類業界のどこからも聞こえない。
(ふくおかなお・ロンドン在住)

月刊 酒文化2011年09月号掲載