秋の酒席は上海蟹

 蟹や海老といえば、お酒との相性はもちろんのこと、和食でも中華にしても私の大好物。姿ごとなら、こってりとしたミソの部分にもっとも惹きつけられます。なのに、一〇代のころ何度か食後に発疹し、蟹・海老ミソによる食物アレルギーと診断されてしまいました。確かに、ひどいときは体中発疹におおわれ痒みでのたうちまわった挙句、気を失って倒れこむほど。思春期にこの「ミソ」アレルギーと診断されて以来、蟹や海老料理は肉まで頂いたら箸を置き、ミソは指をくわえたまま悲しく見送ってきたのです。
 こうして、片思いのまま終わりかけたミソとの関係ですが、新しいご縁が生まれました。四年前に移り住んだ蘇州には、近郊の陽澄湖(ようちょうこ)と無錫太湖(むしゃくたいこ)が産む、世界のグルメに名高い上海蟹が待っていたのです。
 上海蟹は淡水に育つモズクガニのことで、上海で水揚げされた蟹を指すわけではありません。上海蟹という名前は主に外国人に愛用され、地元では一般に大閘蟹(ターチァーシエ)と呼ばれています。毎年九月に大閘蟹漁は解禁となり、翌年はじめまでの数ヶ月が、新鮮な上海蟹の出回る季節。市場やレストランなど街のいたるところに、大閘蟹の看板が目立ちます。卵が旨い一〇月の雌、白子の詰まった一一月の雄が旬の極み。産地直送で鮮度の高い地元ならではの珍味、上海蟹は我が家に贈り物として、たびたび届けられました。
 新鮮な上海蟹は、紐でしばった甲羅に生姜をのせ、黄酒で蒸すのがおいしい調理法です。あつあつの甲羅を開けば、豊かな香りとともに黄金色のミソがどっしり。この世界のグルメ垂涎の珍味を、どうして調理するだけで黙って見送ることができるのでしょうか。苦しかったはずのアレルギー体験などは過去へさっさと追いやり、いつのまにか甲羅を隅々までつついては蟹ミソに酔いしれる日々が過ぎていきました。幸いなことに、中国で幾度となく食べた蟹については、アレルギーとは無縁に終わることができました。
 上海蟹は紹興酒など、老酒(長期熟成させた黄酒)の熱燗と風味がよく合います。ただし、蟹は体を冷やすので、体を温めて血の流れを大切にする漢方の考え方から、蟹の食べ過ぎはあまりよくないとされます。ついつい上海蟹を囲む席では景気づけにビールで始めてしまいますが、体を冷やすビールも、蟹といっしょに口にするのはあまりお勧めできません。体を温める老酒こそが風味のみならず、医食同源に基づいた健康への配慮からも相性がいいのです。
 蟹肉や蟹ミソを素材に使った料理は多々あります。なかでも、相性のいい老酒の風味をとことん堪能できるのが、小ぶりの上海蟹を生きたまま強い老酒に漬け込んだ「酔蟹(ズイシエ)」こと酔っ払い蟹。甲羅をしゃぶるように吸い出す蟹ミソは、老酒の香りと溶け合い、酒好きにはたまりません。粗削りな楽しみですが、ミソの残った上海蟹の甲羅に老酒を注ぎ、甲羅からすする「甲羅酒」も絶品です。
 日本と比べて、上海で買う上海蟹の価格は二分の一以下。さらに西へ、上海から車で一時間ほどの陽澄湖近くまで足を伸ばせば、価格は上海の二分の一ほどとなります。陽澄湖湖畔には、養殖場と連結した湖岸に建てられた上海蟹料理の大型店、小型店のレストラン街がいくつかあります。上海蟹を思いっきり食したい方には、ぜひ産地で山盛りの蒸し蟹がおすすめです。
(いしはらあきこ:フリーライター、二〇〇三年〜二〇〇六年蘇州在住)

月刊 酒文化2006年12月号掲載