宴会と白酒と男たち

 「きょうは中国人のお客さんの接待で遅くなる…」と朝の出勤に急ぐ夫。その背中に、どこか前線へ向かう戦士のようなオーラを感じた日は少なくありません。案の定その夜遅く、乱れ鳴るベルに慌ててドアを開けたら、アルコール臭とともに、大きな体がどさりと倒れこんできたこともいく度かありました。飲みっぷりには自信があり、ビジネスでも楽しく嗜んできたはずの酒の席が、中国では少し勝手が違うようです。
 度重なる中国流の宴会に慣れても、なかなか太刀打ちできないのがアルコール度数の高い白酒(バイジョウ)。蒸溜酒の白酒は中国版焼酎ともいえ、35〜60度ものアルコール度はかなり強烈です。かつてはヘルメットがお猪口がわりというツワモノの軍隊経験者をはじめ、古風な男性にとってビールやワインよりも白酒こそが男の中の男の酒。「白酒飲めなければ男じゃない」というほど。宴会の席では男気を象徴するこの白酒をストレートで交わすことを好むのです。中国のビジネスでも、やはり酒は貴重な潤滑油です。
 中国式宴会では、独特のルールに初めはとまどいます。中国語で「乾杯(ガンベイ)!」と言ったら、一気飲みの意になります。中国人はこっちと目があうと、「来(ライ)!:さあ、飲みましょうの意」と誘ってきて、乾杯した以上はおたがいにグラスの中はすべて飲み干すのが原則となっています。また、ウェイトレスは営業的な意図からも、グラスが少しでも空くとお酒を注ぎ足してくるので、外では知らず知らずのうちに大量の酒を胃袋に注いでしまいます。
 乾杯をするときに互いの杯を軽く合わせるのは同じですが、相手が目上のときは自分の杯を相手の杯よりも低い位置で合わせるというのが伝統的な慣習です。また、社交の場で謙遜し合う文化が浸透しているので、相手のグラスが低くきたらこっちもグラスを下げて、すると相手もグラスをさらに下げて、さらにもっと下に下にと奇妙な“持ち上げごっこ”で飲み交わしが続くのです。最近は、円卓に座った全員がセンターテーブル(料理を回す皿部分)をグラスで小突いて、いっせいに乾杯するといった新ルールも広がり、乾杯のスピードもアップできるようです。
 もちろん、お酒の弱い人などは、「随意(スイイー)、随意(スイイー):自分のペースでの意」と言って、一気飲みを逃れることはできます。器用な人はまず空気を読んで、挑戦的な強者とはなるべく目を合わせないようにして乾杯から逃げます。一気飲みした後に酒を飲み込まず口の中にしばし隠し、口を拭くふりをしてお絞りにふくませたり、トイレに行って吐き出したりという隠れ技もあります。ただ、これはビジネスマンにとって命がけの芸当。これが見破られたら、卑怯者とみなされ、せっかくの商談までが台無しになることもあるのです。
 中国人でも酒に強い弱いはさまざまですが、日本人の常識を超えた肝臓を持つ飲兵衛がそこかしこにいるのが中国です。アルコール度の高い白酒は続けて飲んでいるうちに、のどが麻痺して感覚がなくなり、いつしかとめどなく飲めてしまいます。宴会の席で白酒にあえなくノックダウンされる日本人ビジネスマンは、後を絶ちません。
 どうやら体育会系の夫は挑戦的な乾杯を真っ向に受け、何度となく見事に沈没。きつい接待を繰り返しても、この体を張った酒での交流が、ビジネスでの強い人間関係作りに役立ったと確信しているようです。一気飲みの中国流宴会は、ビジネスでの勝敗を分かつ戦場だと、この耳に響いてきます。
(いしはらあきこ:フリーライター、2003年〜2006年蘇州在住)

月刊 酒文化2006年11月号掲載