日本とも欧米とも違うバー

 大勢で騒いで飲むか、少人数で静かに飲むか。どちらかと言えば後者でいきたいほうだが、上海ではそれを許してくれる酒場が少ない。カウンターで一人ゆっくりグラスを傾けたい気分でも“女性への礼儀”とばかりにナンパしてくる男も少なくなく、「気を使わなくてもいいから」と言いたくなる時がある。
 そんなわけで女性が一人で静かに美味しくお酒を味わえる店というのは上海では貴重な場所とも言え、フィンランド語で「ありがとう」を意味する「KIITOS」というバーは、おひとりさまを楽しみたい女性たちが気軽に行ける場所として人気がある。
 オーナーは、バーテンダーでもある宇部麻衣子さん。東京は下北沢でバーテンダーとしての経験を積み、1999年上海へ。古い洋館をリノベーションした人気のレストランバーで8年働いた後、昨年自分の店を持った。10年間上海の酒シーンを見続けてきたことになる。
「上海の人にとって、お酒を飲むということは盛り上がること。国籍が入り混じった仲間と大勢で出かけて、わーっと騒ぎたい。ここは19席の小さなバーですから、ふらりと入ってきた地元の人たちの中には『えっ?これだけしか席がないの』と帰って行かれる人もいます。大箱好きなので、小さい店イコールいい店じゃないと思われるようです」
 派手なジャグリングを見せてくれるフレアーバーテンダーが上海で人気なのも、とにもかくにも場が盛り上がるから。最近は、華麗なフレアバーテンディングを売りにした店も出てきている。
 10年で上海の人たちの嗜好や飲み方は変わったのか。例えば、中国の女性はお酒をあまり飲まないというのが通説だったが最近はどうだろう。
「若い女性の中に、『飲めるな、この人』と思わせる人たちが出てきていますね。豊かな生活の中で育ち、20歳そこそこから遊ぶことに慣れた80后(バーリンホウ=80年代生まれ)です。彼女たちに人気なのが、アップルマティーニやライチマティーニ。日本ではマティーニと言えば、ドライというイメージですが、上海はどちらかと言えば発想が自由な欧米流なので、マティーニひとつをとっても縛りがない。フルーツを使ったものなどに人気があります」
 そのほか、日本ではあまりオーダーされないけれど上海では注文が多いというカクテルはというと、オールドファッション、シャンパンカクテル、マンハッタン、コスモポリタンなど。ウイスキーに対する嗜好にも変化が見られるという。
「以前は上海の人はウイスキーかブランデーかと言えばブランデー派でしたが、スコッチが浸透して次はバーボンへ進むところが、バーボンを飛ばしてモルトブームがやってきたという印象です」
 日本酒や焼酎好きも増えている。富裕層や日本留学経験者などがそうだが、欧米人の影響も少なからずある。上海には、かつて日本に住んでいた日本好きの欧米人が少なくなく、彼らのなかには日本酒党や焼酎党もいるのだ。
 KIITOSの客層は男女比ほぼ同じ。国籍は日本人が半数を占めるものの国際色豊かだ。
「つい最近も、週末に欧米の方が10人ほど連れ立っやって来て『サケをくれ』って言うんです。うちに置いてあるのはカクテルベースにするものなのでさほど美味しいものではないと伝えたんですが、『それでもいいから、ホットでくれ』ということでした」
 そんな欧米人の友人に連れられて、日本酒や焼酎が飲める店に連れられ、美味しさに目覚めていくという上海の若者たちもいるのだ。
 世界中から資本と人が集まり、変貌する上海でバーテンダーとしてあり続ける面白さとは何だろう。
「日本のカクテル文化は欧米とは違う独自の発展をしてきました。こだわりやプライドを持った職人気質が強いです。日本流、欧米流どちらでもないことをやるには上海はいい場所だと思いますね。いろんな文化がミックスしやすい場所ですから想像もしなかったことが起きますが、それとどう折り合い、つきあっていくか。自分の考えや発想を変えるきっかけがあり、それが醍醐味と言えるかも知れません」
(すどうみか:上海在住)■

月刊 酒文化2009年10月号掲載