上海式出店方法

 一九三〇、四〇年代に建てられたフレンチスタイルや南欧風の古い洋館が立ち並ぶ旧フランス租界――。薄暗い階段を上がっていくとドアは開いていた。さらに暗い店内をのぞくと、恋人たちが激しく抱き合っている。店を間違えたときびすを返したら、西洋人の男が駆け降りてきた。
「いらっしゃい、どうぞ入って」
 引き止めに来たそのダッシュぶりに何となく引きずられて店内に戻った。熱烈恋愛カップル以外にも客は三組いるのだが、みな西洋人だ。聞こえてくるのは八〇年代の音楽で、それと相まって店には妙なうらぶれ感が漂っている。イギリス人バーテンダーの作る美味しいカクテルがオススメの隠れ家バーがあると聞いて女三人でやってきたのに、どういうこと?
「イギリス人? 一か月前に辞めちゃったよ」
 スペイン人だという、ダッシュ男が陽気に答えた。イギリス人バーテンダーから技を盗もうとバーテンダー志望の地元っ子が夜な夜な通う店とも聞いたのだが、中国人はというと、つまらなそうな顔をしたボーイしかいない。ははーん。オーナーが代わったのね。合点がいった。新しいオーナーは居抜きでこの店を買い、そのまま営業を続けさせている。さしずめ、ちょっと前まで上海で会社勤めをしていたというこのスペイン男がオーナーの知り合いで、しばらくの間、店長を任されているというところだろう。店の看板がそのままなのも、ムダな経費は使わないでとりあえず様子を見ようということか。
「イギリス人はもういないけど、カクテルは作れるから注文してね」
 差し出されたメニューを見ると、それなりのカクテルがずらりと並んでいるのだが、日本円で一〇〇〇円以上のものばかり。ホテル並みの強気な値段設定だ。メニューも居抜きの中のアイテムの一つだったのだろうが、技量のない者が作るカクテルほど飲めないものはない。予想どおりに美味しくなかった。
「これ、お酒の味がしないよ。ジュースみたい」
 クレームをつけるとラムやウォッカが継ぎ足されて、かろうじてお酒を飲んでいる気分になった。
 上海にはこういう店、つまり経営者は変わったけれど前の店のままの姿形で営業を続ける店というのが最近少なくない。ルネッサンス様式の築八〇年以上のアパート一階にあったバーも同じ運命をたどったひとつ。物腰のやわらかいフィリピン人の店長がいた頃は居心地のいい空間を作り出していたけれど、ある日を境に店長はいなくなり、メニューが変わってさっぱり人気がなくなった。外国人が残したシャレた箱と名前をそのまま使えばしばらくは客も入るが、ハリボテは所詮ハリボテ。座ってみればオーナーが代わり経営方針が変わったことはすぐに分かる。一週間で閉店してしまった。
 店名を変えなければ常連客は入ってくる。客からすればニセモノの店に入ったようなもので詐欺に近いが、経営者にしてみれば合理的判断というやつだ。居抜きで商売して見込みがありそうなら続けるし、ダメならすぐに止める。ダメな場合も考えて、余計な経費はかけないに限る。新規開店の店も、しかり。暗くすれば多少のアラは目立たないのだから、そこそこの内装で十分だ。
 このへんの合理的で素早い判断は、いかにも上海的。長い目で見よう、なんて悠長に構えていたら上海では足元をすくわれるだけだ。 (すどうみか・上海在住)

月刊 酒文化2009年09月号掲載