日系社会の飲み屋

 13年前、ブラジルへ到着早々に先輩の日本人に飲み屋へ連れて行ってもらって驚いたことがある。それは「こ〜んなお店、今の日本にはもう無いだろう」というレトロさ、ダサさだった。
 クラブのママさんが高齢であることもさることながら、ソファーも一昔も二昔も前のどっしりした合成皮か布製の安物で、クッションなどはとっくに効かなくなっている。さらに店内の照明もお洒落な暗さでは無く、ただ暗ければいいという薄汚れた場末の暗さ。その中で客がママさんや女性たちと踊るのだ。音楽も演歌だろうが昔の洋曲だろうが何でもOK。目が飛び出るぐらいにびっくりした光景だった。
 カラオケもすごい。日本でカラオケが出始めた頃のような店の作りで、端の方にちょっと高いステージがあり、自分の出した曲がかかると、そこへ上って埋め込まれた厚いテレビの画面を見て歌う。もちろん、カラオケ機器は通信ではなくレーザーディスク。お店の人が1枚ずつ入れ替えて、リクエストに対応してくれる。歌える曲、つまり知っている曲を探すのが一苦労だが、出始めのレーザーディスクは豪勢で、本物の美空ひばりや細川たかしなどが画面に出てくる。場所によってはステージの前に踊るスペースがあり、ノリの良いブラジルで長く生きた日本人や2世たちは、素人のカラオケをバックにカップルでぴったりとくっ付いて踊りだす。
 日本風のカラオケ・ボックスもここ10年で数店舗でき、若者には人気がある。が、60歳代以上の日本人は圧倒的に昔ながらのカラオケを好む。
 ちなみにカラオケでちょっと脱線するが、ブラジルには「ビデオケ」なるものがある。これはカラオケのビデオ版。つまり歌の入っていないメロディーが始まるカラオケなのだが、字幕がすべてアルファベットなのだ。歌いたいが日本語が読めない、分からない日系人や非日系(=ブラジル)人に人気で、ブラジルやアメリカの曲もある。もちろん、日本人1世にはビデオケではなくカラオケがしっくりくる。それも日本にはもう無いであろう、20年以上前の雰囲気を漂わすカラオケ飲み屋がいいようだ。
 こう言っては大変失礼になるのは承知の上であえて言わせて貰うと、数年前には友人が「よくこのお店潰れないなぁ」と思ったお店に「津軽」というカウンター席の飲み屋がある。ママさんは80歳をゆうに超えている。以前は奥座敷1つとわずか10数人しか座れない店に、ママさんと同年代で真っ赤な口紅の厚化粧をした女性が数人働いていた。彼女たちの多くは、かつて「女給さん」と呼ばれ、日系社会全盛期には料亭や飲み屋で働いていた。ブラジルに移民したものの不幸にも夫に先立たれたり、別れたりして、移民の王道である農業ではなく、生きていくために夜の道を選んだ人たちだ。
 さて、この「津軽」、決して食べ物が美味しいとか、ママさんが若くて可愛いとか、安くて店がきれいとかいうのではない。それでも結構、客が入り、潰れずにいて不思議だったのだけれど、在ブラジルが10年を超え「ありえない!」と思ったカラオケや「津軽」が心地よくなってきた。曲を紙に書かなくても、ママさんの恐るべき記憶力でディスクを探し出し、瞬く間に曲が始まる。他のカラオケ屋でも、数ヶ月間行かなくても以前に歌った曲の紙をちゃんと取っておいてくれて、すぐにリクエストできる。イヤだと思ったステージも酒の中のご愛嬌。わざわざステージまで立って行きマイクに向かうということはちょっとした緊張感もあり、カラオケそのものがまだ高価だった頃を彷彿とさせる。何でも手軽に、安く簡単に手に入るようになった今だからこそ、高かった頃のカラオケや昔のキャバレーを思い出させてくれる飲み方は、ある意味、贅沢なものなのかも知れない。そんな事を思いながら、今日も先輩移民たちに連れられて、タイムトリップした店へと行くのであった。
(おおくぼじゅんこ:サンパウロ在住)

月刊 酒文化2010年08月号掲載