古都チェンマイ 都の酒と鄙の酒

 タイの東京をバンコクとするなら、京都はチェンマイになるだろう。北の都チェンマイには昔はランナー王国という独立王朝があり、今尚、王朝の遺風を伝え、政治、文化、教育の中心となっている。また周辺に目を向けてみれば、緑の豊かな山々に点在する盆地に小さな村の生活が息づいている。今回はこのチェンマイの酒に目を向けてみたい。
 チェンマイの若者たちは友人と酒を飲み、語らうことが大好きだ。そのためにチェンマイ大学やニマンヘーミン通り周辺には、若者を見込んだポップな内装がなされたデザイナーズバーやガーデンスタイルの飲食店が数多く出店している。その需要に後押しされてか、外国酒類の種類は近年豊富になってきている。こういったお店では国内生産の定番ビール、『Chang Beer』、『Singha Beer』、『Heineken』、『Klooster』、『アサヒ』の外に、国外から輸入されたビール、ウイスキー、ワインなどを飲む事ができる。最近では常陸野ネストビールなど日本のクラフトビールも一部で販売されるようになっている。
 おいしい北タイ料理がテーブルに並べられ、流しのギターバンドが店に入ってくると、チェンマイ方言で歌われるジャラン・マノーペットの郷愁感溢れる曲が緩やかに流れだす。チェンマイの友人たちが語る好きな日本のビールの幅も多彩になり、熱が入ってくる。
 さて、農村の様子に目を向けてみよう。チェンマイから立派な舗装道路が山に向かって伸びており、外国人観光客を目当てにしたリゾートが立ち並んでいる。ここはまだ国外ブランド・ビールとウイスキーの世界だ。それを抜け山道になり、峠を幾つか越えると、木造の高床式家屋が立ち並ぶ小さな村にたどり着く。
 夕刻ともなれば、農作業帰りの男たちが腰帯に山刀を下げ、手にはキノコや山菜を入れた米袋を携えて降りてくる。男たちは村の雑貨屋に直行し、店のおかみが小さな杓子で量って出してくれるタイ焼酎(ラオ・カーオ)を一気に煽り、続いてコップ1杯の水でぐっと飲み下す。喉と胃が焼けるようだが、田仕事で疲れた体がジワリと熱くなる感じがたまらない。昔はこの焼酎も自家製であったが今はもう既製品である。ところで北タイの女性は気が強い。夕食前に飲みすぎると奥さんに怒られてしまうので、男たちは2杯目をこっそりと飲む。
 村には酒の溢れる季節がある。それはタイ正月ソンクラーンとそれに続く精霊信仰行事の期間である。夫のお酒に厳しい村の女性も正月に向けてどぶろくを醸造する。白色の酸味のある甘い酒である。酵母は雑貨屋で買ってくるのでどこの家も同じだが、家それぞれに秘伝の醸造法があるらしい。1軒目でどぶろくを頂くと、隣の奥さんが「私の方が上手なのよ」と自慢げに自分のどぶろくを持ってきてくれる。
 北タイの村では祖先の霊を巫女に憑依させて神遊ぶ行事があり、その際には村の人たちはタイ焼酎やメコンウイスキーの小瓶を祭壇に供える。私は初め「なぜこのような伝統行事に近代的なメコンウイスキーを使うのだろう」と思っていた。しかし、儀式が始まるとその疑問も氷解した。雷撃に撃たれたように祖先霊が巫女に降り下り、色とりどりの神衣に着替える。巫女はやおらメコンウイスキーの小瓶を掴み取り、それを煽り飲む。その時である。メコンウイスキーのラベルに描かれたテワダー(天人)の姿が巫女の頭上にひらひらと揺れているのが見えたのだ。
(にしだまさゆき・タイ在住)
*ラベル変更により現在のメコンウイスキーには天人のデザインはない。
2015年冬号掲載

月刊 酒文化2015年01月号掲載