ハードリカーの受難

長い間、海外で暮していると、物の見方も『ガイジン』になってしまうものらしい。いつだったか、日本で放映されている連続ドラマのビデオを見たところ、二〇代半ばの女優さんが、毎晩、お風呂あがりに缶ビールをごくごく飲むシーンがあって、ああ、日本も変わったものだ、私が住んでいた頃は、若い女性が、あんな風に缶ビールをぐいぐいやるシーンなんて考えられなかった、と妙に感心したのを覚えている。
 テレビといえば、日本に帰って驚くのは、ビールや焼酎やウイスキーの宣伝が多いこと。日本で生活していた頃は、当たり前のように受け入れていたハードリカーの広告も、アメリカ暮らしが二〇年を過ぎると、あんなに盛大に宣伝して、消費者団体から苦情や抗議がきたりしないのだろうか、と心配になったりする。
 アメリカでは、ハードリカーのテレビCMを見ることはめったにない。ローカルTVやケーブルTVでは、午後九時過ぎに放映しているところもあるが、全米を網羅するテレビ局では、未だにハードリカーの広告を受け付けていないからだ。
 何年か前に、三大全米ネットワークのひとつ、NBCが、これまでのポリシーを撤回して、今後ハードリカーのテレビCMを受け付けると発表したことがあった。確か9.11の直後だったと記憶している。テレビ、出版業界で、広告収入ががた落ちし、近年にない恐慌ムードが吹き荒れていた時期だ。
 ご存知のようにアメリカでは、酒類のテレビCMを規制する法律はない。聞いたところによると、1948年に、蒸留酒メーカーが集まって、ハードリカーのテレビCMが未成年や妊婦、依存症者に与える悪影響を考慮し、自主規制をしようと取り決めたのが始まりらしい。それが撤廃になったのは96年のことで、米国の蒸留酒製造業者は、なんと半世紀もの間、ビールのテレビCMを横目でちろちろ見ながら、ずっと辛抱を続けてきたのである。
 さて、ハードリカーの受難は続く。痺れを切らしたメーカーが、自主規制を撤廃したものの、当時バブルの絶頂期にあったテレビ業界は、市民団体からの圧力を懸念して、引き続き蒸留酒の広告を受け付けないという強気の姿勢を崩さなかった。
 そこに同時多発テロが起きたのである。株価は下がるわ、失業率は上がるわ、広告予算は削られるわで、全米のテレビ局が不況のどん底で喘いでいたとき、NBCがウォッカの広告を流し始めた。途端、テレビ業界は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。まもなく何人かの議員も担ぎ出され、収拾がつかなくなったNBCは、ハードリカーの宣伝を取りやめるという発表を行った。
 それが今年に入って、ケーブルテレビのCNNが、某ウォッカのCMを流し始めたのである。ケーブルテレビは、視聴者層の年齢が一定しているという理由で、これまでも十数社が、ハードリカーの宣伝を受け付けてきた。しかし、CNNというと、視聴者の数からしても、かなりの影響力が考えられる。CNNは、(視聴者には)責任をもった飲み方を勧めている、と説明している。NBCのときと違って、まだそれほど大きな問題にはなっていないが、これに追随するテレビ局が出てきた場合、社会的な問題に発展する可能性がないわけではない。
 しかし、ビールやワインに比べ、蒸留酒への迫害がこれほど徹底しているのは、やはりこの国がピューリタンの国だからだろうか。
(たんのあけみ:食コラムニスト、NY在住)

月刊 酒文化2005年06月号掲載