BARでのエピソード

 仕事柄、年に何度か市場視察のアテンドを頼まれることがある。クライアントは、大手スーパーさんだったり、メーカーさんだったりする。年代は、圧倒的に中高年の方が多い。海外体験でいえば、三度から五度程度の中級クラス。しかし、英語力はというと、外人スチュワーデスとの機内でのやり取りや、ホテルでのチェックインぐらいはひとりでなんとかできるものの、込み入った話になった途端、真っ青になってしり込みする万年初級クラスの方々だ。もちろん、なかには英語黒帯と自認する猛者もいて、回りの英語音痴の通訳を買って出るなど、なかなか頼もしい。何年前だったか、某メーカーの企業視察を依頼されたとき、海外経験の豊富なビジネスマンがいた。社内でも彼の英語力は評判で、視察時にもホスト側のアメリカ人と談笑するなど、英語有段者としての余裕を見せていた。
 ところが、視察最後の夜、何人かの同僚と、滞在していたホテルのバーに立ち寄ったのが命取りとなった。筆者があれほど注意したのに、最も発音の難しい「バーボン」を注文したのである。案の定、バーテンダーは彼の言っていることが理解できず、何度も何度も聞き返したものだから、しまいに彼のほうがキレてしまった。
 ちなみに、筆者の知り合いに、三年間のアメリカ滞在中に、一度もレストランでヴァニラアイスクリームを食べられなかった、という気の毒な人がいる。「ヴァ」という発音が難しい上、イントネーションが日本語の「バニラ」とまったく違うからである。長くアメリカに住んでいれば、「ビール」を注文して「ミルク」を持ってこられた人や、「コーヒー」を注文したのに、「コーク」だったという人の失敗談には事欠かない。
 「バーボン」や「バーガー(ハンバーガー)」は、旅慣れた上級者でも、地域によってまったく通じないこともある難しい言葉。筆者も、ハンバーガーを頼むときは、間違いの少ない「チーズバーガー」を頼むことにしている。それに、アメリカでお酒を注文する時は、?銘柄?を指定するのが習いになっている。くだんのビジネスマンも、ジャック・ダニエルズとかワイルド・ターキーという(聞き取りやすい)銘柄を注文していれば問題はなかったのである。
 日本からきた知り合いをこちらのバーに案内して驚かれるのは、三杯目のハードリカーを注文する時、必ず「だいじょうぶですか?」と訊かれることだ。これがビールやワインだと何杯飲んでも訊かれない。アメリカは車社会だ。マンハッタンは地下鉄やタクシーがあるので、飲んでから車で帰る客は少ない。が、地方へ行けば、みんな堂々とバーの駐車場に車をとめて飲んでいる。
 ニューヨーク州では、アルコールの血中濃度が〇・一以上だと飲酒運転とみなされる。隣のニュージャージー州では〇・〇八だ。たいがいの人は、ワインやビールの一、二杯はまったく問題ないと思っている。酒に強い人は、その倍ぐらい飲んでも平気で運転する。ただ、アルコール濃度の高い酒は二杯まで、というのが不文律になっているようだ。考えてみると、アメリカには酔っ払いが少ない。白人種は酒に強い体質だということもあるが、泥酔するのは自己コントロールのできない依存症、つまり敗北者とみなす風潮があって、それが歯止めになっているからだ。
 飲酒運転には甘くとも、酔っ払いに対する寛容さでは、アメリカは日本の比ではない。日本はまだまだ世界一の飲酒天国なのである。
(たんのあけみ:食コラムニスト、NY在住)

月刊 酒文化2005年09月号掲載