食は世につれ世は酒につれ

 総工費六億五〇〇〇万円を投じた「Nobu 57」を見てきた。
 二〇〇席の二階ダイニングに一階の酒バー、併せて三六五坪という大型店だ。このところマンハッタンは、三〇〇坪級の大型日本料理店が目白押し状態。メグ、マツリ、ゲイシャ、エンなど枚挙に暇がない。
 元はといえば、九四年、ダウンタウンにオープンしたNobuの一号店が火付け役になった新日本食ブーム。映画俳優のロバート・デニーロと彼の相棒のレストラン企業家に口説かれて、日本料理界の鬼才、松久信幸氏が、世界の食通が度肝を抜く新感覚の日本料理店を立ち上げたという話はあまりにも有名だ。以来、Nobuの馴染み客である映画スターや野球選手を一目見ようと、連日野次馬や旅行客が押し寄せ、いまだに一号、二号店の予約電話は鳴り止むことがないという。
 あれから一一年たったいま、Nobuは、世界の一四都市に支店を構える一大チェーンに成長した。一世代前には、こうした高級店が、グローバル展開することなど考えもつかなかった。しかし、宇宙旅行がお金で買えるようになったいま、松久氏のように、レストラン経営をグローバル規模で考えられるシェフやオーナーでなければ、世界料理界の覇者になるのは難しい時代なのだろう。
 Nobuの一号店に知人のアメリカ人を連れて行ったところ、冷酒を竹筒に入れてサーブしているのを見て、日本酒嫌いの彼が、どっぷり冷酒にはまってしまったのを覚えている。それまで酒といえば、熱燗にして飲むことしか知らなかった彼が、酒は冷酒に限ると言し出したとき、この国には無尽蔵のお宝が埋まっていると思った。その好機に便乗したのが一連の日本食レストランである。徳利一本四ドルで売っていた従来のメニューに吟醸、大吟醸を加え、価格を二倍強から三倍に引き上げた。そして、日本酒は、文字通り「クール」なドリンクだというプラスイメージが定着したのである。
 日本酒ベースのマティーニを発明したのもNobuだった。邪道という方も少なくないが、南米で修行を積んだという松久氏のスパイシーな新日本料理に、この酒マティーニが実によく合うのである。
 ミッドタウンのビジネス街に開店したNobu 57で驚くのは、その酒バーのゴージャスさだろう。二階ダイニングに続く階段脇の吹き抜けの部分に、貝殻のシャンデリアをたらし、三〇個のこも樽を飾ったバーを見たときには、思わず息を飲んだ。
 世界の酒の最新傾向を知りたければ、Nobuのドリンクメニューを参考にすべきだろう。日本酒から赤白ワイン、シャンパン、オリジナルカクテル、デザートワインまで何でも揃っている。最近人気のハーフボトルは、シャンパンまで揃えるという念の入れようだ。
 一昔前の日本料理店であれば、日本酒三、四銘柄にビールが五、六銘柄というのが定石だった。料理も変わり映えのしないスキヤキと天ぷら。そこに新風を吹き込んだのが、松久氏を始めとする日本人シェフたちだった。彼らの柔軟な考え方と、斬新な技術が日本料理の定義を変え、それと共に酒の提供方法も変わっていった。
 そしていま、彼らの手ほどきを受けた新日本料理の担い手たちが、次から次へと世界に羽ばたこうとしている。日本の酒が世界中の人々に飲まれる日もそう遠い未来ではないかも知れない。
(たんのあけみ:食コラムニスト、NY在住)

月刊 酒文化2005年11月号掲載