入り口のないバー

 マンハッタンのイーストビレッジに、「PDT」というへんてこな名前のバーがオープンした。PDTというのは、“プリーズ・ドント・テル”の略だ。日本語に訳すと、「どうぞ誰にも言わないで」という意味。本心は“どうぞみんなに宣伝して!”なのだが、マンハッタンは、バーやレストランが宣伝をし始めると下り坂、ということを本能的に悟っている人間が多いので、下手に宣伝できないという事情がある。PDTはそれを逆手にとって、誰にも口外してくれるな、という店名をつけた。
 10年くらい前までは、新しいバーをオープンするとなると、地域のトレンドセッターをかき集めて、事前に面白そうな情報を流し、口コミで地元の客を動員したものだった。トレンドセッターというのは、ときにヘアーサロンの美容師だったり、ビンテージスニーカーショップの店員だったり、人気バーのカリスマ・バーテンダーだったりした。
 いまでもこうした人脈を操作して、ダウンタウンでミニトレンドを作り出している古典派の仕掛人もいるが、最近は人気ブロガーを使うところが増えている。店を開店する前に影響力のあるブロガーを招待して、オープンに先駆けて、店の情報を面白おかしく書き込んでもらうのである。
 むろん、PR会社も並行して使う。新聞や雑誌に記事を載せてもらうのが目的だ。宣伝は逆効果なので、100%編集記事でなければならない。PR会社が何人かのブロガーを雇って、トータルな広報活動を仕掛けることも多い。
 口外するなと言われると、誰かにこっそり教えたくなるのが大衆心理だ。PDTはそれを見込んで、さらに手の込んだトリックを仕掛けた。入り口を作らなかったのである。
 看板を出さないバーは、ダウンタウンにははいてすてるほどある。しかし、入り口のないバーは珍しい。ではどうやって中に入るかというと、ホットドッグ店の中を通って入るのである。店の名前は、「クリフドッグズ」。ニューヨークのベスト・ファイブに選ばれるほど、人気のあるホットドッグ店だ。日本人学生が多く住むイーストビレッジの目抜き通りにあって、店頭には“私を食べて”というちょっとエッチなメッセージが書かれた真っ赤なジャンボ・ソーセージが飾られている。
 店内には、「パックマン」や「ギャラガ」など80年代に一世を風靡したゲームテーブルが設えられ、壁や天井には、GIジョーのおもちゃやグッズが所狭しと飾られている。隅に隠しカメラとブザーが備え付けられたアンティークの電話ブースがあって、PDTに入りたいお客は、その中に入ってブザーを押す。と、内側から隠しカメラでチェックされた後、隠しドアが開いて、中に招じ入れられるという仕組みになっている。
 非常に子供じみた儀式なのだが、店名と隠し扉という二重の拒否によって、お客はどうしても中が見たいという心境になっているので、中に入れただけで大きな冒険したような満足感が得られるから不思議だ。
 果たしてPDTの中は、カウンターと客席を併せて、12、3人が座れるか座れないかという大きさ。大掛かりな仕掛けがされているわけでも、禁酒時代の秘密バーめいたアブナイ雰囲気があるわけでもない。が、どこかうちとけた同志的ムードが漂っている。意外なのは、ドリンクメニューが本格志向で、バーテンダーの腕も確かなこと。子供だましと思って入ったお客は、珍しい美酒に酔わされ、夢から醒める、と元のホットドック屋で、夜更けのホットドッグにかぶりついていたという顛末。(たんのあけみ:食コラムニスト、ニューヨーク在住)

月刊 酒文化2007年08月号掲載