裾野を広げるワイン市場

 あと四年もたつとフランスを抜いてアメリカが世界一のワイン売上国になるらしい。二〇年以上この国で飲食動向を追ってきたが、仏料理店にしか置かれていなかったワインが、いまやディスカウントスーパーやダラーショップ(一〇〇円ショップ)でも売られるようになったのは驚くべき進歩である。
 五年前、二ドルのPBワインで大儲けをしたトレーダー・ジョーズに習って、中小のスーパーですら自社ブランドワインの開発に大わらわ。つくればつくるほど売れるという、メーカーにとっては夢としか思えない市場環境が、ワイン関連業者をいい気持ちにさせている。
 少し前は、金曜(給料日)の夕方ともなると、酒屋やスーパーにケース入りの安売ビールを求めて男性客がぞろぞろやってきた。当時は、ハードリカーを飲む人も結構多かった。ワインは、毎日飲む酒というより誕生日や祝日用の酒、もしくは贈答品として利用されることが多かった。いまやどの酒店に行っても売場の八割以上がワインに独占され、ハードリカーはもとより、ビール売場も片隅に追いやられてしまった。
 売れ筋は、安いワイン。そこそこにうまければ、売れること請け合いだ。アメリカ人にとって安いというのは、一本五ドル以下のワイン。だが、なぜかこのところ五ドル以上のプレミアムワインが売れている。アメリカでもすでに「トレードアップ」(味のよいもの、質の高いものに移行する)が始まっているのだ。
 先日のニューヨーク・タイムズ紙にも出ていたが、最近マンハッタンで、小さなワインバーが雨後の筍のように増えている。一昔前のワインバーと違うのは、照明が明るくより家庭的な雰囲気で、特色のある軽食メニューを揃えていること。当然女性客も多い。これまでバーといえば、酒とタバコと男の汗の匂いがする、いかにも不健全で暗いイメージが付きまとっていた。が、いまのワインバーは、流行のファッションに身を包んだ若く健康な女性が、恋人と会ったり、友達と社交するギャザリング・プレースになった。女性にとって嬉しいのは、バーにひとりで入っても不自然でなくなったことだ。多くは住宅街にあるので、ご近所のバー的な親近感があり、それが店の打ちとけた雰囲作りに役立っている。
 なぜこうした新世代のワインバーが増えているかというと、周りのレストランがあまりにも高くなりすぎたからだ。それに、アメリカで毎晩外食していたら、毎日ジム通いをしても確実に太る。そこで、夕食はめいめいで食べ、その後バーで落合って遊ぶニューヨーカーが急増した。勢いスペイン料理や南米料理など、興味をそそるエスニック食を出すワインバーに女性客が集中している。
 日々の生活のなかで、ワイン人口が増えていると実感するのは空港である。いままであったバーが、どんどんワインバーに変わっているのだ。出発前の待ち時間に、乾いた喉を潤すのはビール、と相場が決まっていた。ところが、このところ空港で人気があるのは、ソムリエをおいた本格的なワインバー。ワイン関連グッズをすべて揃えた、ワインバー兼テーマショップというハイブリッド業態もでてきた。腹立たしいのは、国際線で、酒を有料で機内販売する航空会社が出てきたこと(エコノミークラス)。われら愛飲家にとって、唯一のサンクチュアリともいえる国際線の機内無料べバレッジ・サービスが、徐々に姿を消しつつあるのは、まことに嘆かわしいことである。
(たんのあけみ 食コラムニスト、NY在住)

月刊 酒文化2008年06月号掲載