リバース・ハッピーアワー

 良くも悪くも金融街の動きに左右されるマンハッタンでは、早くも不況風が吹きだした。いつもであれば、終日観光客でごった返しているタイムズスクエアも、まるでクリスマスの朝のようにすいすい歩けてしまう。五番街の高級ブランド店も、お客の数より店員の数のほうが多い感じだ。タイムズスクエアのマリオットマーキーホテルへ行けば行ったで、一五機以上あるエレベーターホールに乗客が筆者たったひとりというていたらく。そのあまりの変容ぶりに目を見張ってしまった。
 この国の金融危機は、何度か経験済みである。八七年に起きたブラック・マンデーのときは、昨日まで街一番のトレンディ・レストランで幅をきかせていた若手投資銀行家が、次に行ったらウェイターをしていた、という笑えない出来事もあった。90年代初めの景気後退のときは、街角や地下鉄構内や車内に、ひどい悪臭を放つホームレスが寝転んでいたり、物乞いをしていて、さすがに気分が滅入った。
 景気後退前からから、運営費の割高な大型ラウンジやクラブは、一斉に店じまいし、不況に強いといわれるご近所のバーも、資金繰りがうまくいかず何店か姿を消した。予約なしのお客は受け付けないという気位の高いレストラン/バーを始め、ありとあらゆる飲酒店が、恥も外聞もなくハッピーアワーを始めた。
 話は横道にそれるが、日本と違ってアメリカでは、昼間もバーが開いている。英国でもパブが開いているが、パブは食事も出すので、日中はレストランとして利用するお客が多い。アメリカに来て驚いたのは、昼間からバーのカウンターで酒を飲んでいるお客が結構いるということ。ちなみに、ハッピーアワーはたいがい四時にスタートする。どの店も正価の半額程度に価格を抑えている。であれば、昼間はもっと割安に違いないと思うのは素人考え。昼間は、どこも正規の値段で酒を出している。
 これまでの景気後退や株の暴落、同時多発テロ時と、今回の金融危機がちょっと違うのは、いつどこで始まったのかわからないが、「リバース・ハッピーアワー」サービスを提供するバーやレストランが、雨後の竹の子のように増えていることだ。「リバース」とは、「逆にする、入れかえる」という意味の英語である。本来ハッピーアワーは、夕暮れ時の酒の割引サービスを意味するが、これはそれを逆さにしたコンセプトで、多くの店は、午後九時から一一時まで、すべての飲料を均一料金にしたり、半額にしたり、一ドル割引きにしたりしている。時間帯は、地域によって、あるいは店の業態によって、午後八時からというところもあれば、午後一〇時からというところもある。日曜日から木曜日までとか、日月火木だけと、曜日を限定している店もある。
 言うまでもなく、食事時間帯後の飲料売上アップを狙ったアイデアだが、商魂逞しくメーカーからの協賛を得て、ボルドーとかウォッカとか日本酒とか、ひとつの酒にテーマを絞ったスペシャルナイトを催している店もある。女性客は、酒を飲みながら友人とじっくり話し込むことが好きなので、「リバース・ハッピーアワー×レディスナイト」を仕掛けて女性客を動員している店もある。また夕刻と食事後と、一晩に二度ハッピーアワーを提供するなど、収支を度外視した店もある。
 不況は勘弁してほしいが、あちこちで安くて美味しい酒が楽しめるのは悪くない。
(たんのあけみ NY在住)

月刊 酒文化2008年12月号掲載