ワールドカップな日々

 先日髪をカットしてくれた美容師さんが、店が急に暇になったとこぼしていた。彼女の店はコロンビア大学の近くにあるので、大学が夏休みに入り、学生が郷里に帰ったからではないかと訊いたら、「いいえ、ワールドカップのせいですよ」という返事がかえってきた。
 住民の三人に一人が外国生まれというニューヨークは、ワールドカップが開催されるたびに、街全体がお祭りムード一色に染まる。とりわけ、南米系やヨーロッパ系移民が集中するロワーイーストサイド(マンハッタン区)や、アストリア(クィーンズ区)では、ひがな一日スポーツバーの大型TVスクリーンの前に陣取って、試合の再放送を見る飲み客が入り浸る。
 今回は南アフリカが開催地だったため、いつもは宵っ張りの飲兵衛たちが、生中継を見るため朝の七時からライブを見せているスポーツバーに押し寄せ、二〇ドルもする朝食を食べながら母国、あるいはゆかりの地のチームを応援した。ニューヨークで最も有名なサッカー・バーといえば、ロワーイーストサイドの「ネバダ・スミス」と、ブルックリンの「ウッドワーク」がある。人気チームの試合がある日は、二店とも数ヶ月も前から予約が一杯になる。この二店を含め、ワールドカップの南アフリカ大会中、朝から夜中までずっと店を開けたバーが何店かあった。
 決まった国のチームを応援しているバーは、ワールドカップが近づくと、軒先に国旗を掲げて同胞を呼び集める。普段はそれほどエスニック色を出していないバーでも、このときだけは愛国心に満ち溢れた国民バーに変わる。大概の店は三カ国か四カ国の国旗を出す。面白いのは、トーナメントが進むにつれて、国旗が変わっていくことだ。なかには、ありったけの国旗を吊るす節操のないバーもあるが、プロのサッカー・ファンは歯牙にもかけない。
 誰が決めたのかは知らないが、自分の店を「○○(国)のオフィシャル・バー」だと大っぴらに宣伝している店もある。「マンチェスター・パブ」や「オーストラリアン」などは、名前を見ればどこの国のバーかがわかるが、つぶしがきかないのが弱みだ。スペイン、ポルトガル、中南米などのラテン系は、名前を聞いただけではわからない。が、「蛇の道は蛇」で、どこからともなく匂いを嗅ぎつけて同郷人が集まってくる。ちなみに、日本の試合は、「イースト」というカラオケバーで生中継を放映した。日本も「イースト(東洋)」であることは確かだが、どうせなら「ニッポン」(日本人経営レストラン)でやって欲しかった。
 自他ともに認めるオフィシャル・バーが、趣向を凝らし、それぞれの国の酒を振舞ったことは言うに及ばない。日本やギリシャやメキシコのように国民的な酒やビールを製造している国はいいが、そうでない国は代わりにその国で流行っているカクテルやTシャツを売った。
 酒に限らず、各国の民族料理を提供する店もあった。米紙によると、ウッドワークでは、試合ごとにその日対戦する二チームのお国料理をサーブしたそうだ。ニューヨーク広しといえど、さすがに北朝鮮のオフィシャル・バーだと名乗りを上げた店はなかったが、同国の試合日にもウッドワークは、北朝鮮料理を提供したとか。早朝の試合中継を見せた店では、朝食と飲み物のセットメニューを一律価格で売る店がほとんどだった。試合当日の朝、ニューヨークの地下鉄ががら空きだったことは言うまでもない。(たんのあけみ・NY在住)

月刊 酒文化2010年09月号掲載